断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年03月05日(月) わからない、はフツーのこと

『聖の青春』 泥酔した聖の発言
これを言ってしまったら、、
どうしても避けられませんでした

「僕はいつも苦しみながら将棋を指している。

 自分のそんな気持ちは
 元気な人たちに永遠にわからないでしょうね」

この台詞に何も感じない人いないんじゃないかな。
自らの想いで切り拓いていこうとする人なら、
誰もみな、似た台詞があるのではないでしょうか。
生きている痛みのような超個人的な裏事情。
ただ、この裏事情の実態はきっとこうです―

 わかってほしいけど わかってほしくない

 わかってほしいけど わかるわけがない

その苦しみが(本物の苦痛)だとしたら、、
きっと自分以外の人には味わってほしくない、に
至る気がするのです
そんな苦痛は知らない方が絶対に幸せです!
手術の痛みなんてのも、、
正直言って想像をかるく超えてきます
問題なのは自分のことは自分にしかわからないこと
その苦痛がこころのものだったとしても同じ

苦痛自体は比較できない

苦痛の大きさは量れません
《直面している今》は現実そのものだからです

わたし自身の経験ではありますが、
この苦痛を解消できないまでも、何とかできるのは
やはり自分自身でした
何とかできるのは同情からじゃ無理です
誰かに抱かれて「わかるよよしよし」じゃあない
誠に歩いていけるのは、自力で歩いていけるのは
自分よりも誰かの方が厳しいはずだ、って
確信したときです
これは、そんな誰かがいたからわかったことです
わかってもらえたとしても
それはきっと自力で歩く力にはなりません
その場にとどまってしまうような安らぎはあるかも
しれませんが、一歩まではどうかな。。
自分だけであれば一生悲劇のヒロインでいられます
ですが、、そうじゃないから
自分じゃない他人がいる世界だから

比較することで自分がわかる

誰かがいるから自分がわかる

苦痛は量れませんが、人なら見ればわかります

さて、ここまで来たら答えはあと少しです。
誰もが言えてしまう「自分の気持ちはわからない」
こんなのはみんな同じです
わかってもらいたい人は永遠に叫びましょう☆
ただし。これを叫んでいるうちは、、
わたしたちは豊かになれません
それを、、どうにかして超えていかなくては!!
歩いていけるまで
それまでは本物の苦痛だと思います
この苦痛には《時間》が不可避かもしれません
ですが、だからこそ自分だけにならず
誰かがいる場所にいること
その場所は光そのものなんじゃないでしょうか
不思議に感じるのは、、
「自分の気持ちはわからない」そんな人間がいる
場所が光そのものだということです

自分ひとりだけで勇気が湧く、勇気を引き出せる、
そんな天才ナルシストもいるかもしれません
しれませんが、、どうにも考えにくい
待ってくれている誰かのために、のほうが
がんばっている誰かがいるから、のほうが
俄然 人間の根源を感じます

 がんばっているだけで誰かの光になれる!

ああ、自分も昔は わかってほしくて踊ってた
とても恥ずかしい気持ちになります
これがわかるのはちょっとは成長したからだと
そう思えるんです

踊りも、自分を
自分自身を 超えていくことなのかもしれません


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Taisuke [HOMEPAGE]