| 2014年11月29日(土) |
「星空からのメッセージ展」 |
近況にコメントしてくれた友だちに、 コメントしてくれたコロちゃん。 コロちゃんコメントはタイスケ無関係でしたw こんなコメント会話の進展もあるんだな、って。
度肝抜かれました
ネット接点ではこういうのが許されるんですね! もう、ぜんぜん知らなかった〜 笑笑 さぁそういうわけで、 コメントにあった新カフェに行ってみました。 その途中、誰かのサイン会やってた。
『星空からのメッセージ展』 大宮エリー これは歩くプラネタリウムです。 星たちの間を歩きながら 惑星に腰掛けたり 月に寝そべったりしながら 星の、月の、流星群のメッセージを 読み進めながら歩くことができます。
今日は、その《初日》だったのだw カフェに入るとかるくコロちゃん発見。 いきなり発見。
コロちゃんは大宮エリーの大大大大大ファン 全国各地どこまでも追っかけてるレベルのw
そう、サイン会にいないわけがない。 展示会初日にいないわけがない。 コロちゃんにとっては《あたりまえ》でも、 わたしにとっては《テキトー》ですw
なんだろう… この違い(爆)
さぁそういうわけで、2 展にも一緒に行くことにしてみました。 こういう機会でもないと行くこともなかろう。 わたしはまったく知らない領域です。 そんな領域のことをコロちゃんに尋ねました。 コロちゃんは大宮エリーさんの全出版物を 全てサイン入りで持ってるくらいです。 貸してくれたら手っ取り早い!
「何で貸さなきゃいけないんですか?」
いきなり断られましたw わたしの周りはシェアしてくれる人たちばかりだった のでこの感覚は久しくわすれてましたね。。
この世には共有したくない人もいるのだ
で、そのところを話しながら、 (いつもは話してくれない話そうとしない) (話してくれたのは大宮効果だと言えそう) “不思議ちゃん” と呼ばれる人のことを考えた。 もしかしたらわたしもその一人と思ってる人もおろう それを打ち破る為にもこの旅は避けられません。
《不思議》って《よくわからない》にちかい。 となると、主には自分のことを説明しない。 説明 “できない” 人についてはまた違うけれど、 ここでは通り過ぎてみます。 自分のこと、人にわかってもらおうとしてない。 自分のことだけでいい。
ここから導き出されるは《自分本位》
わかちあわなくても自分の中でしあわせが見出だせる これはいい意味でもわるい意味でもありますよね。 つらいことでも自分自身で決着つけられる。 心配なのは《ひとりよがり》の危険。
だって自分だけで世界のつじつまをつけるからです
人との関わりが薄ければバランス崩れるのあたりまえ その人のことが理解しにくくなるのあたりまえです! それに馴れてしまうと、他人のことを “勝手に決めつける” ことにつながりかねません。 そういう人、たくさんいるじゃないですか。 やっぱり極端であればあるほど、 とっつきにくくなりますよね? 守っても、オープンすぎても。 でも極端だからこそ面白い場合があります。 それはArt能力に比例しているのを感じるときです! コロちゃんにはコロちゃんの世界。 Artの世界がある。 コロちゃんの場合は《絵》 その絵には、まさにコロちゃんを感じるのです。 すごいとおもう じゃあダンス。ダンスはどう?? コロちゃんは小さいコロから踊っており、 年月でわたしはかるく負けてます、たぶんw いつもコロちゃんのダンスを見て、 技術的な側面がなかなか改善されてない。 引力、目が離せなくなるような引力です。 もったいない。 どうしても問いたくなる。 そのところを尋ねてみたらこんな返事がきました―
「つらいことはしない」
かるくこんな台詞が吐けるのはたいしたもんですw ある意味、むちゃくちゃ大物。 わたしにはまったく理解できない思考です。 ほんとうにわからない 見に来てくれる人の前でそんなもの踊れないからです がんばってもないものを「見に来てほしい」なんて、 そんな失礼なこと絶対にできない つらいことをせずに感動が呼べるんだったら 最初から努力なんてしません 簡単には得難いものだから努力するんです わたしには到底そんな台詞言えやしません そんな人が踊っていけないわけじゃありませんが、 これだけはどうしても対峙せずにはいられません。 ダンスを見に行くのは、絵を見に行くのとは違う。 そう思ってしまいそうになる。 絵を見るとき、どんなものを感じますか?? 絵のむこうに《誰か》が見えるものというよりも、 絵、そのものに打ち込んだ情熱や執念を感じるものが 多くはないでしょうか。 目が離せない絵には圧倒的な《執着》を感じるのです ダンスは失うものです。 一瞬一瞬でしかない そこにこそ命を吹き込むべきもの。 そして何よりも、観客がある上でのもの。 踊っている時どんなものを受け取ってもらえるのか。 わたしたち踊る側はベストを尽くすことに 目を向けがちですが、その先があります
作品が完成すればいい、 自分がstageで踊れればいい、では終わらないんです
わたしにとって舞台はそういうものなんだとわかった この旅であらためてわかったこと。 わたしには、 その先を感じながら踊る《意識》が要るんじゃないか わたしが踊りたいダンスには!! Bestを尽くすところを本番で挑戦するんじゃない。
Bestを尽くすのはその先の言葉にできないこと
わたしにとって、練習で「つらいことをしない」と 言えるのは “天才” だけです。 (天才でも努力してない人、見たことないけど) だからコロちゃんも天才なんだとおもう。 そうじゃないはずがない。 これは嘘偽りない気持ちです。 是非それを舞台上で証明していってほしい
ダンサーが軽はずみに言えることじゃないんだものね
軽はずみに言えるものなら… 感性というより、 自分のことを知ろうとしてないだけなんじゃないか 自分の好きなように踊って、何も考えずに踊って、 それに誰もが感動してくれたらどんなにいいでしょう 自分だけが踊ればいいのなら 誰かと一緒に踊らなくていい 舞台で踊らなくてもいいじゃないか 人前で踊らなくてもいいよね なぜ人前で踊らないと自己満足できないのか なぜ他人の前で踊らないといけないんでしょうか おそらくその答えは《舞台》です 舞台にはそれほどの憧れと輝きがあるんでしょうね
だから、だからこそ、 舞台は汚すことができない場所なのだとおもうのです
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