断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2014年10月05日(日) 最後に主人は自分の息子を送った

◎貸したぶどう園の収穫のたとえ◎
研さんの母に気分転換でも、と誘っていただき、
日曜ミサに行ってきました!
なんたって入院してる病院の裏が教会なのだw
(研さんの葬儀が行われた教会です)
わたしはキリスト教ではありませんが、
その場所がとても心を落ち着かせてくれました!
教典の言葉はストレートですよね。

 【どんなことでも、思い煩うのはやめなさい】

自分ではなかなか口にしないこと。
言葉を聞いたり、言葉にすると、
突然 心が洗われるときがある。
ストレートだからこそ心が撃ち抜かれるのでしょう
そして《聖歌》。
聖歌は今の自分には響きすぎました
歌にはものすごい力があります
それに加えて研さん母の圧倒的歌唱力ッッ

 涙が止まらない

今の自分が置かれた立場、
自分が抱えているものがしんどくて
いろんな《できないこと》がありすぎて
でも、そんなことよりも、今は病院関係のトラブルの
方に憤りを感じていました

 どうして人は敵をつくってしまうのかな

“あいつは俺たちとは違う”
なんだかわからない、分けて考える人たち

 生き方がどんなに違っても
 生きてることに何の変わりもない

生きてちゃいけない、には絶対になり得ない。
間違いを改めれば、あたらしい関係は築けるのに。
互いが互いを高めあってみんなみんな成長していけば
つまらないわだかまりなど起こりようがないし、
たとえわだかまりが生まれても
《話し合えば》解消できるはずです。
何よりも、話し合おうとしないのがわからない

◎主人の息子はあっさり殺されてしまいます◎

わたしたちの経験は次の世代に積み上がるものじゃない
どうしたってその時代の人たちがつくりあげるものです
世代が移ればまた人間は1から成長しなおす話です。
つまるところ《人間力は積み上がらない》
もしかしたらこれこそが紀元前から人の世が、
変わらない理由なのかもしれません。
神父さまがおっしゃいました。

 【わたしはひとをゆるします】

そのときドッと理屈じゃない何かを感じました
わたしにはゆるせない人がいます
その言葉に気付かされました
できうる限りゆるしたいよね ゆるせるものなら
この教会では泣いてばかりだ
世の中が変わるには自分の成長だけでは足りません。
相手も成長しなくては。
そう考えると、自分の指針を発言するミサには、
たいへんな力があります。
すくなくとも 考えることで、
《自分自身を確認することになるからです》

 自分を見失わないこと

わたしはこの数日おそろしく惑わされていました
その人のことが憎かったし理解したくもなかった
そのうち気付いたのは、
そう考えてる自分自身のこころが汚くて醜いこと
相手を敵視するよりも、自分のこころが
健全じゃないことのほうが問題だとわかった
たった一つのことで全部が嫌になるなんて、
こんな気持ちは “おかしい”
みんなあんなに頑張ってるじゃないか
それなのに、なぜその人たちまで疑い出すのか

 人って、人の心って、本当に揺れ動くものですよね

やっぱり時間をおくことで冷静に事にあたれます。
感情的になればなるほど塗り固まってしまう。

 わたしたちは、《そのとき》が難しくても、
 《あとで》振り返ることが大事なんじゃないか

そう思います


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Taisuke [HOMEPAGE]