| 2013年01月01日(火) |
今日、今年をはじめます |
◎あけましておめでとうございます◎ 二○一三年 元旦 今日、2013年をはじめますw 深遠な年にすべく、これまでやったことない新年の明け方をさっそく実行。 まずはその壱。 小説購入
『日々の泡』 ボリス・ヴィアン “20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説”と評される最高傑作
◎今年は海外の作家から始めてみよう◎ これがそのやったことない理由ですw 〜そう遠くないうちにblog化したい〜 購入にいたるまではちょっとしたstoryがあります、それはそのときにでもw さて、書店の上階がシネコンだったこともあり立ち寄ってみることに。
なんだかわけもなく明るい映画が見たい衝動に狩られた!!
なんせ昨年末『レ・ミゼラブル』で2012映画鑑賞は壮絶に終わりましたからねw 2013年を明るく楽して生きたいとおもうのも無理ありません!! 早くも2012年のリバウンドきタ― っていうか、この時間これしかやってなかったーーー
『今日、恋をはじめます』 最悪のファーストキスが、運命の出会いだった。
いつもだったら「それはない」とナマステするんですが、今日は元日!! 突然その弐。 魔が差すにはじゅうぶんすぎた ◎今でなければこの映画を見ることはあるまい、入場◎ 松坂桃李演じる椿君は一部の人間にしか一目置かれる人物には見えなかった… 擦れてない純情男だとまるわかりの男なんであるw よって、悪ぶってもいっちょん似合わない。 〜どう見ても難がある〜 とにかく万人に“かっこいい”と納得させる何かが決定的に足らないのだ。 その手の男は絶対バイトなんかしないしてないありえない バイト頑張ってる男に恋するなんてのはまったく庶民的ですよねw どこがカリスマ男子なのかまったく理解できないよ。 〜いたってフツーです〜 武井咲をスクリーンで見るのは『るろ剣』以来。 期待したw その昭和女のドレスチェンジは劇的ビフォーアフターでした! 女は服装でこんなにもイメージが変わるっていうのをあらためて知りました!! だまされちゃいけないっていうのもあらためて肝に命じましたw 問題なのはいつだって中身です!!
女子高生ロストヴァージンファンタジー
全国の煮え切らない高校生の願望と欲望を搭載、商業映画として見事に凝縮☆ 言葉はわるいですが、そういう意味ではおそろしく完成度の高い映画でした!! お互いに歩み“いたす”ことに理想を求める物語はまったくわるくありません。 現代の使い捨て社会から考えればたいへん有意義な精神だと理解できます。
しかし一方では高校生活ロストヴァージン推奨とも取れちゃうね
設定では主人公は高校二年生、その妹は中学三年です。 現在の学生が映画どおりだとしたらすでに乱交社会ですよね。 なんてこった ティーンズの未知への欲望を考えれば、なんともわかりやすい展開。 大人への憧れと異性への興味。 驚くほど秀逸な中二ストーリー☆ 寝ることで終わる究極のラスト☆
まさしく至高の幻想ファンタジーでした
超個人的断罪blog化しているわけですが、この映画では唸ったシーンもあります。 それは「お前の夢って何?」的な後半です。 外見や性格で相思相愛になることとは違い、この映画はお互いの夢を尊重するものです なかなかできることじゃあないぞ。 〜たどりつくには精神の成熟が必要です〜 なぜならこれこそが例のパターンだからです。
「わたしと仕事とどっちが大切なわけ?!」
この台詞はたいてい女子からのものではないでしょうか。 不思議なことに男がこの台詞を使っているのなんて見たことありませんよね。 このことから考えるに女子とはよほど自分を大切にされたい生き物なのでしょう でもあえて言いましょう、そんなのは男子も同じだ ところがなぜか同じにはいきません そんな台詞を吐けば女子は必ずこう言い放つでしょう 「男らしくない!!」 なんでそんなこと言えるの!? 意味わからん 大きな心を持たなきゃならないのは男女同じ。 今こそ不可思議な差別に終止符を!!
この物語で大切なのはどちらもおもいやってるってこと
認め合う、信じあうとはそういうことなのかもしれませんよね。 相手の未来をよいものにしたいなら相手を自分にとどめることは足枷でしょう。 すくなくとも上の台詞は“大人の”発言ではないとおもうのです。
二人でいることですべてが満たされる、そんな二人もいるでしょう 満たされるものが尽きない、そんな二人もどこかにきっといるはずです 二人のすべてが同じ方向なんてそれこそはamazing奇跡 わたしがいつも意識するのは何かに一生懸命な人が好きだということです 外見がどんなにキレイでも、その性格がどんなに素敵でも、 何かに頑張ってる人にはまったく及びません
頑張っているその時が、その人が一番輝いているとき
好きな人が頑張ることをやめてしまったらきっと好きじゃなくなるでしょう 頑張る強度に差はあってもその“頑張る”ことに本来優劣なんかありません 頑張ることでキレイになるし、性格もきっとよくなっていく もしかしたら“よくしていきたい力”なのかもしれませんね 自分にもまわりにも そして満たされるときは、できるなら死ぬときでありたいですね それまでは精一杯頑張ることをしたい
だって頑張れるのは生きているときだけじゃないですか!!
死んだあと頑張らなきゃいけないなんて聞いたことないもんね。 頑張ることで輝くなら、頑張るのをあたりまえにすれば生きること自体が光り輝くはずです 大事なのは、頑張るのは無理をすることじゃないってこと。 一体“頑張る”ってなんなんでしょうねw 目に見える頑張るもあるし、目に見えない頑張るもあります。 そうだ、わたしの先生がよく叫ぶ罵声のひとつにこんなものがあります。 「目に見えなきゃ意味ないわよ?」 それはあくまでもダンスにおける言葉ではあるけれど、ある意味で的を射ています。 まわりが“わかる”頑張りでなければまわりは変わっていかないからです。
きっと人それぞれの“頑張る”があるはずです
それは、人それぞれのダンスがあるのとおなじだとおもっています
|