Kumsta kayo?(富山編)
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| 2003年10月24日(金) |
誰もが通る道について |
海外に行くときは数冊の本をもって行くことが多い。 以前は治安のよくない国に行くことが多く、休みの日は一日読書をして過ごすことが多かったのでその頃の習慣が今も続いている。 今回持ってきた本の中の一冊で「看護婦が見つめた人間が死ぬということ」という本があります。 題名のとおり、看護婦が見てきたいろいろな死についてかかれたもので活字からだけでも学ぶこと、感じることは多いけど実際に体験した筆者や同業者はもっと多くのことを感じているのでしょう。
自分が「死」についてはじめて意識したのはいつかは明らかではないけれども、そのときは眠った先にそれがあったらという恐怖から眠ることもできなかった。 いまでも眠る前に目覚めなかったらということを考えることはあります。 中学のとき、夏休みの宿題で「弁論文」なるものを書かされていたのですが、そのときに「命の大切さ」という文を書きながらその後ろにある「死」についてすでに考えていたことは今でも覚えています。 クラスのみんなが友情や自然の大切さについて述べるなかで自分はかなり異質であったと思います。
自分や自分の愛する人には訪れてほしくないと強く願いながらも避けることができない無常さ。 しかし、終わりの見えないことは逆に苦痛でしかないのかもしれません。
☆☆ わりと影響を受けやすい性格で、本を読んだあとに考え始めて書いてしまいました。 突然重たい話題で戸惑いを受けた方、申し訳ありません。 特に気持ちが沈んでいるわけではありません。
明日仕事が終わればまたお休みですので、またドタバタ日記に戻ります。
更新 アリゾナ時間 10月25日 5:20 日本時間 10月25日 21:20
halohalo
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いつのまにやら2万
多謝

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