LORANの日記
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「水木しげるの大冒険・幸福になるメキシコ」(祥伝社)を読んで、神がいる国について考えました。
本来は自然信仰でしたから、世界中どこにも神や精霊、妖怪、シャーマンがいたのでしょう。
それは自然のすべてと同じであり、自然の別の名であったのだろうと思います。
大きな山はそれだけで特別な存在感があり、そこから幾つもの川が流れ出し、その流域には
恩恵を受けて多くの森ができ、そこには多くの動物や鳥が住み、川には魚が群れたのでしょう。
その恵みを受けて人々が住み着き、集落はいつか町になったのでしょう。
大きな山は冬には雪をいただき、美しさと威厳を示していたのでしょう。
大きな山も流れる川も森も風も、そして海も人々に無限の豊かな恵みを与えてくれました。
そのすべてに人々は畏敬と感謝をしながら、営々と暮らしてきたのでしょう。
その畏敬は、そこに神を見、精霊を見つけてきたと思います。
その畏敬は、とても自然で健全な反応であったと思います。
しかし人間が社会生活を中心にしてから、自然との結びつきは急速に弱まりました。
科学の発達は小ざかしい浅知恵を与え、自然の畏敬を非科学的と決め付け、迷信にしてしまいました。
科学はまだ幼稚の範囲にあるのに、人間の限りない欲望とつながり、人間万能の思い上がりを
増徴する結果になりました。
人間万能の思い上がりは、まるでシロアリが木造船を食うが如くに地球を蝕んでいます。
このままシロアリが船を食っていったら、船が無くなったときどうするのでしょうか?
それでもシロアリが船を食い続けるのは、人間の欲望を止める理性が無いからでしょう。
その理性は自然に対する畏敬そのものだったと思います。
何物も畏れないことは、欲望が止まらないと同じです。
これは自己崩壊を起こしているのですから、自殺行為と同じです。
人間の浅知恵は人類を滅亡へ追い込んでいます。
子どものアトピーやアレルギーが50%を超えていることが証明しています。
この症状は自然の汚染度に比例して増加しているのです。
人間の反省が自然を破壊することを止めさせなければ、子どもたちは一生苦しむでしょう。
昔も今も大自然は、私たちの母であり、神であるのです。
先進国ではない国々では、いまも神や精霊は生き生きと人々と共に存在しています。
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