LORANの日記
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2006年09月26日(火) 神がいる国??


「水木しげるの大冒険・幸福になるメキシコ」(祥伝社)を読んで、神がいる国について考えました。

本来は自然信仰でしたから、世界中どこにも神や精霊、妖怪、シャーマンがいたのでしょう。

それは自然のすべてと同じであり、自然の別の名であったのだろうと思います。


大きな山はそれだけで特別な存在感があり、そこから幾つもの川が流れ出し、その流域には

恩恵を受けて多くの森ができ、そこには多くの動物や鳥が住み、川には魚が群れたのでしょう。


その恵みを受けて人々が住み着き、集落はいつか町になったのでしょう。

大きな山は冬には雪をいただき、美しさと威厳を示していたのでしょう。


大きな山も流れる川も森も風も、そして海も人々に無限の豊かな恵みを与えてくれました。

そのすべてに人々は畏敬と感謝をしながら、営々と暮らしてきたのでしょう。


その畏敬は、そこに神を見、精霊を見つけてきたと思います。

その畏敬は、とても自然で健全な反応であったと思います。


しかし人間が社会生活を中心にしてから、自然との結びつきは急速に弱まりました。

科学の発達は小ざかしい浅知恵を与え、自然の畏敬を非科学的と決め付け、迷信にしてしまいました。


科学はまだ幼稚の範囲にあるのに、人間の限りない欲望とつながり、人間万能の思い上がりを

増徴する結果になりました。


人間万能の思い上がりは、まるでシロアリが木造船を食うが如くに地球を蝕んでいます。

このままシロアリが船を食っていったら、船が無くなったときどうするのでしょうか?


それでもシロアリが船を食い続けるのは、人間の欲望を止める理性が無いからでしょう。

その理性は自然に対する畏敬そのものだったと思います。


何物も畏れないことは、欲望が止まらないと同じです。

これは自己崩壊を起こしているのですから、自殺行為と同じです。


人間の浅知恵は人類を滅亡へ追い込んでいます。

子どものアトピーやアレルギーが50%を超えていることが証明しています。


この症状は自然の汚染度に比例して増加しているのです。

人間の反省が自然を破壊することを止めさせなければ、子どもたちは一生苦しむでしょう。


昔も今も大自然は、私たちの母であり、神であるのです。

先進国ではない国々では、いまも神や精霊は生き生きと人々と共に存在しています。


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