LORANの日記
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| 2006年06月20日(火) |
生贄(いけにえ)について思う |
生贄(いけにえ)と言うと、「なんて野蛮な!」と思うことでしょう。
しかし人間は、生贄(いけにえ)が大好きに見えます。
かって「マヤ文明」などは太陽の光が衰えることを怖れて、生贄(いけにえ)を捧げたと言われます。
生きた人の心臓を取り出して捧げたと伝えられています。
そんな残酷な仕打ちではないかも知れませんが、人間は今でも生贄(いけにえ)を求めているようです。
それは子ども同士の関係でも見ることができます。
「いじめ」がそれです。
自分よりも力の弱いものを「いじめ」ます。
自分と異なるものを「いじめ」ます。
新約聖書マタイの福音書にある「汝の隣人を愛せよ」は、自分たちの仲間の中だけで有効なのです。
ですから異教徒には適用されません。それで戦争は普通は異教徒との間で起こるのです。
「でも私はそんな『いじめ』には加担していません。」とあなたは言うかも知れません。
そうですよね。あなたはやさしいから「いじめ」には加担しないのでしょう。
もしあなたがテレビや新聞の記事で誰かの犯罪を知ったら、その犯人についてどう思いますか?
もしヒットラーやカンボジアのポルポトのように、数百万人も虐殺した人をどう思いますか?
「もちろんとんでもないことをした悪い人だと思います。」と言うでしょうね。
彼らのしたことを正当化することはできません。彼らがしたことを支持することはできません。
でもあの事件で、あなたはどれほどの損害をこうむったのでしょうか?
あなたの家族や親族が犠牲になったのでしょうか?
もしあなたがなんの損害も受けていないのなら、あなたは彼らを鞭打つ権利はありません。
あなたが彼らを口をきわめて、罵(ののし)る権利を持っていません。
もちろんあなたがどう考えようと、あなたの自由なのですが。
私たちは彼らが行った事実から、学ばなければならないのではありませんか?
単に感情で批判や非難するのではなく、私たちが繰り返さないために学ぶ必要があります。
しかしテレビや新聞などのマスコミは、背びれや尾ひれを付けて面白おかしく、騒ぎ立てます。
彼らを自分たちの腹いせに、生贄(いけにえ)に仕立てています。
そして人々はそれに同調して、一緒に鞭を打ち、石を投げつけます。
かってイスラム国では「石打の刑」がありました。
姦通した男女を穴埋めして頭だけを出し、民衆が石を投げつけて殺してしまうのです。
マスコミが彼らを穴埋めにして、民衆は彼らに容赦の無い非難という「石」を投げつけています。
このように人間はとても残酷な存在であると言えます。
「愛」の存在であるとは到底言うことができません。
ですからいつも自分を観察していなければなりません。
せめて自分は「生贄(いけにえ)」に鞭打つことはしないように。
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