LORANの日記
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「どんなお金持ちにも貧乏人にも、平等に与えられているものがある。
それは時間です。」
そう言われてきました。
確かに時間は誰もが等しく持っています。
そしてお金を払わなくても、いいえ払っても売り買いできません。
時間は無常に流れて行くと誰もが思っています。
どんなに大事な人でも、大好きな人でも、時間はいつか連れ去っていきます。
時間はまるで火葬場行きのベルトコンベアのように、無常に人を運んでいきます。
お金持ちも英雄も、誰もこのコンベアから下りることはできません。
そんな無常な時間なら無いほうがいいのかと問えば、やっぱり時間が欲しいと言います。
人は物質化した存在ですから、存在が無くなる事、死が最も恐ろしいのです。
それで死に至る怖れのある病気やけがを忌み嫌います。
健康法や健康グッズ、健康食品、サプリメント、お守りまでにすがり続けます。
しかしどんなに抵抗しても、時間は砂時計の砂が落ちるように無機質に流れていきます。
人は大河に落ちた木の葉のように、流れて行くほかはないのです。
では本当に時間はどうにもならないのでしょうか?
いいえ、時間はどうにでもなるのです。
あなたは時間を誤解しています。
時間はあなたのものです。そしてあなたが時間です。
そんなバカなと、きっとあなたは思うでしょう。
でもそれは真実です。
あなたが生きていること、それを現実と言います。
現実は過去の表面です。
湯葉(ゆば)は大豆を粉砕して煮て作った豆乳の表面にできる薄皮です。
豆乳が過去であり、湯葉が現実です。
膨大な過去の現実があり、その表面にできた湯葉のような現実があります。
ですから、ちょっとやそっとで現実が変わるはずがありません。
しかし、いかに膨大な過去の現実があっても、それは感情として記憶されています。
ですから過去からの感情を開放することができれば、現実は変えられるのです。
すべての感情を開放ができれば、あなたの時間は軽くなります。
先ほどの例えでいう、豆乳が無くなるからです。
すると湯葉が極端に薄くなり、ついにはできなくなります。
すると感情に支配されない自分がいます。
この状態になると自分の存在は、今までとはまったく違ったものになります。
自分には違いないのですが、まったくの無色透明のように感じます。
チベットの僧院の壁に、大きな目が二つ描かれている写真を見たことがあるでしょう。
あの目が自分であるかのように思えるのです。
自分は宇宙と溶け込んでいますので、自分の意識が目であるように感じます。
時間が自分であることが分かります。
そして宇宙も自分であることが分かります。
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