LORANの日記
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「学ぶ」は「まねる=まねをする」ことからできた言葉だそうです。
「親の背中を見て育つ」という言葉は、親の生き方を学ぶことです。 親が子どもを教育するには、親の生き方を見せるしかないのです。
親がいかにテレビや本で読んだことを自説のように話しても、子どもにすぐに見破られてしまいます。なぜなら子どもは親の生き方を毎日見て学んでいるのですから。
その時だけ尊敬されようと思っても、毎日の生活や行動が子どもにとって尊敬に値しなければ、尊敬されるはずはありません。
おとなは子どもにとって学ぶ対象でなければなりません。 それなのに毎日報道されるのは、官公庁や一流企業のトップの不正です。 これでは子どもに一生懸命勉強していい会社や官公庁へ入れと言っても、お手本がお粗末で子どもにあんな人になりたいという夢を与えることができません。
いまの時代は先行きが見えない「不透明の時代」と言われますが、誰を、なにをあてにして生きればいいかが分からない「目的喪失の時代」と言った方が適当でしょう。
学ぶことは生き方からですから、美辞麗句は必要ありません。 言葉はツールですからその時に応じて使い方が異なります。
「ばかやろー」という言葉が限りない愛情から言われることもありますから、ただ言葉だけをみたら真実は分かりません。ですから相手の生き方から学ぶことだけが真実を学ぶことになるのです。
宗教では聖書や経典、コーランなどの言葉を絶対視する傾向があります。 神学や教学で学ぼうとしますが、言葉だけでは学べることは少ないでしょう。
お釈迦さまの生き方、イエスの生き方を自分がどこまでまねできるかが学びでしょう。 すべてを捨てて生きることを彼らは教えているからです。
どう思い、どう生きるかが私たちの人生にとって大事なことですが、それは子どもにとっても学ぶ対象としてとても大事なことなのです。
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