日本人の“考えるコト” - 2002年03月17日(日) ・・・そういうわけで・・・ 法事でした。(父親の彼岸。前日の日記参照。) 自分の父親が逝ってしまって・・・ 10年以上になる・・・ 毎回思う。 こういう法事やってると・・・ 逝った人の前で、酒を飲み、たらふく食べ・・・ そして、その逝った人のコトを話してるワケでもない。 大声で、“話し”、“笑い”、“叫んでる”。 こんなコトで、その人の供養になってるんだろうか? 死者に対して、失礼とは思わないのか・・・? こういう法事やってるコトで・・・供養になる、と“日本人は言う”。 じゃあ、聞くケド・・・ 「もし、自分が逝ってしまって、こんな風に自分自身を、 “無視されてるかのごとく”振る舞ってる人間を見て、 “どう思いますか・・・?”」 ・・・何の供養になるのだろう・・・?一体・・・? 誰も、逝ってしまった人のコトなんて、まともには話さない。 それでも・・・こんなのをやる必要性は・・・? しきたりだから?慣習だから? それとも、じいちゃんや、ばあちゃんが言うから・・・? 去年も言った・・・同じコトを。 そして、今年もまた・・・同じコトを言う自分。 誰も答えない。 誰も・・・“答えられない”。 自分は、父親が嫌いだった。 だからといって、蔑ろにした覚えはない。 “この人達の様に”。 自分が、この世からいなくなっても・・・ こんなコト、する必要はない。 そう思う。本当に。 自分が、気に入っていた人が・・・ たまに、“あぁ、そういう人もいたっけ・・・”って、 思い出してくれれば・・・それでいいかな?って。 形式ばかりに・・・こだわってる人間は・・・“ダイキライです”。 ...
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