ぴんよろ日記
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土日は福岡へ。「大神社展」を観に行ったが、あまりの人の多さにぼーっとした。みんなそんなに神社好きなのだろうか??? 神さまへの捧げもの、あるいは神さまを描いたりしたもの、そのどれもがものすごく解像度が高い。ほとんどの現代人にとっては、基本的に「見えない」「いるかいないかわからない」ものである神さまにまつわるものが持つ、あまりに高密度の存在感。むしろそれは「神さま」が見えないからこその密度なのだろうな、と思いつつ、だからこそ「神像」については、うーん、これはちょっと。昔からピンと来なかったけど、やはり違和感あり。神さまは「像」になっていただかなくてもいいのでは…と、僭越ながら思ってしまう。神話の挿絵くらいまでは「あり」なのだが、立体は…。でも普段は東寺にいらっしゃるという女神さまは、圧倒的なオーラだった。ほかにもいくつか、まわりがゆらゆらしている方がいらした。。
夜は下関の先のドライブインの駐車場で車中泊。トラック野郎たちはもちろん、近所の家族連れも集まる、昭和感あふれる、ゆる〜いお店。夜は「ホルモンうどん鍋」をつつき、朝は名物の「貝汁」をすする。あさりがどっさり、味噌は薄め。おいしい〜。
翌日は下関の火の山に登って「ファン・デル・カペレン海峡(関門海峡。シーボルトが勝手に名付けた)」や「源平合戦の海」を眺めてぼーっとしたりしつつ、福岡に戻り、街をうろうろ。大きいお店に行けば非常にたくさんのものはあるけれど、欲しいものはあまりない。あくまで「広く薄く」って感じ。もちろんいろいろ調べたりしていけば「濃い」店もあるが、全体的には薄い。選択の余地はあまりない代わりに、際立つものがあれば探しやすい田舎町に住んでいると、この「広さと薄さ」に茫然とする。 …そんな理屈をこねなくとも、単純に、物理的な広さにやられるので、長崎より大きな街には住めないだろう。月末に大阪に行くけど、迷子にならないか心配。20年前にひとりで大阪駅に降り立ったとき、人の流れにまったく乗れなくて、しばらく片隅にじっとしてたことを思い出す。 とにかく人間というのは、たったひとりでも、そこにいるだけでエネルギーが出ているので、たくさんいるのを見ているだけで、慣れないとぐったりする…。
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