ぴんよろ日記
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| 2012年07月02日(月) |
ベクトル、あるいはバージョンの違い。 |
雨&子ども漬けの土日をなんとか乗り切り、月曜日。ヒコの学校へ、授業を観に行く。「この日この時に」という授業参観は明日なのだが、ここ1週間ほどは、どの時間を覗きに行ってもいいということになっていて、ヒコから見に来いと言われたので。ミサキンを送ってそのまま行ったら、算数の引き算の授業だった。一生懸命、引き算をがんばる小さな人たち。大人はもう、一桁の計算なんて、パッと見たらわかるようになってしまっているけれど、彼らはこれから、ひとつひとつ、できるようになっていくのだ。できるようになるには、こうして1時間1時間、ちょこんと椅子に座って、計算をする時間を積み重ねていくしかない。その大切さと膨大さに、なんだかぼーっとなる。学校って、すごいところだ。 その授業で帰ろうかと思っていたけれど、次の時間は、テレビでもよく見かける被爆者の方の講話だった。いわゆる「語り部」の話を、自分から聞きに行くことなんてまずないし、どんなものなんだろう…と思って、聞いてみることにした。 たぶん、何百回もおなじ話をされているから、子どもたちには耳慣れない用語や地名も、けっこうな早口でどんどん繰り出されるし、ひとつの「語り物」として完成している感じもあるし、「だから平和を!核廃絶を!」と言われて、それはそうなんだけど、そういう語り口に100%同調できるかというと、口ごもる自分がいるのもたしかだ。でもやっぱり、そこで語られる事実のすさまじさは別次元のもので、彼女の身に起きたことのどれを取っても、その時の衝撃と感情がどんなものであったのか、想像がつかない。原爆…いまさらながら、恐ろしすぎる。とにかく、聞いてよかったと思う。
それとはぜんぜん別の話だが、死ぬ時って、少なからず、痛かったり苦しかったりするのかもしれないけれど、そういえば、と、思いついた。 子どもを産むのよりは、たいていの場合、静かなもんなんじゃないだろうか。あれより痛いことって、そうそうないのでは?ヒコの時は時々気を失ったけど、つまりあれでそのまんま、あっちの世界に行きっぱなしということだろうから(あれは夢だったのかもしれないけれど、なんだかムニョムニョした、暗くてなにかが満ち満ちたような場所に降りて行った記憶がある。そこにタッチしたら、また浮かぶように戻ってきて、ヒコが生まれた)、それだったら、まぁなんとか、その時になったら乗り越えていけるだろう。 と、思いついて、少しだけ「死への恐怖」というものが軽くなった気がする。 すべての人にやがてやってくる瞬間が、恐怖一色で捉えられているというのも、それはそれで変な話だろう。子どもを産んだことのある人なら、痛みや苦しみにまみれがちとはいえ、あの「なにやらわからん世界とアクセスしている妙な気持ち」を思えば、たぶん、それのちょっと違ったバージョンなんじゃないだろうか。 臨死体験が、死というベクトルで「あっち」とアクセスした記憶とすれば、出産は、ベクトルの向きが違う「臨生体験」ということだろう。
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