ぴんよろ日記
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2012年06月04日(月) オーライ!

 土曜日の朝、ミサキン最後のおっぱい。その後、何度も「おっぱい…バイバイ…」と自分に言い聞かせるように尋ねてきて、やがてその回数も減り、夜中泣くこともなく、ごはんをモリモリ食べ、ことばと表情が格段に増えた。1週間前から、毎日、カレンダーに線を引き「来るべき日」について確認しあっていたのもあるだろうが、なによりも、機が熟していたということが大きいのだと思う。「バイバイ」して、むしろミサキンと私の距離は近くなったような気がする。おっぱい抜きで話し、笑いあえるようになっている。そしてそれは、今だったから、ということもまた、強く感じる。いいタイミングだったのだ。
 土曜日の夜から、乳はガンガンに張りまくって痛く、庭整備の疲れも節々に残っていたが、しかし、これまでいつも体の奥底にあった「異次元にでも通じているような底なしの疲れ」は姿を消していた。やはり授乳というのは、まさに「次元」の違うものなのだろう。授乳により抜けていた「底」がふさがれ、踏ん張りがきくようになっている気配がする。心なしか、本を読んでも脳味噌に入ってくる。考えや思いを言い表すことばも浮かぶ。仕事柄このような告白もいかがなものかと思われるが、妊娠中も含めるとこの3年近く、読む文章はぜんぜん頭に入ってこないし、思うように書けなかった(もちろん、仕事としての基準はクリアしつつ。自分の感覚の問題として)し、話すことばに関しては、もはやギリギリの線だった。いくら目で字を追っても空しく流れすぎてゆき、指先にことばがあふれることもない。思っていることの10分の1も言えない。もしかしたら、私の言語機能はこのまましぼんでいくのかしら…と、怖いようでもあった。でも、断乳したその日の夜に、なにかがポツリ、と復活する気配が感じられて、本当は、自覚していたよりもかなり「動物」だからだったんだな、と、ようやくわかった。
 だから、私のことはさておき、お腹が大きかったり、赤ちゃんがいたり、ましてや「哺乳類中」の人がいたら、まわりも、そしてなにより自分自身が「半分動物なんだから、いつもやってることができなくてもオーライ」っていう気持ちで、その人に接してほしい。脳味噌も乳になって吸われてると思ってるくらいでちょうどいいはず。現代日本社会は、なかなかそれを許してはくれないかもしれないけれど、産んで育てて乳をやりながら「本当の私」を探したり実現したりするなんて、過酷すぎる。できる範囲でいろんな「基準」をゆるめて、小さくかわいらしい人たちのそばで過ごせる幸せを受け取ったほうがいい(と思う余裕は、ヒコの時はなかったけれど)。


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