ぴんよろ日記
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2009年04月18日(土) ふたつの水。

 修理に出すとき、パソコンのデスクトップをまっさらにした。いま、急な仕事もないので、そのままにしているが、まっさらなデスクトップというのは、ちょっと不気味な感じもする。ベースの画面が「水の揺らぎ」みたいなやつなのでなおさら。神社の玉砂利というか、寺の枯山水というか、そういう、生活の場には向かない「静けさ」だ。シンプルでなにもない部屋って、住みにくそう…。トミカのあふれかえった我が家には、ハナから望むべくもないが。
 中通りから出島に移転した手ぬぐい屋さん「カリオカ」に寄って、しばし話す。ジャンルは違うけれど、自分を頼りになにかを作って暮らしている者同士の目配せしあい、という感じ。おなじ病院で出産していたことが判明したりもした。百年に一度の不況だというが、こつこつとおいしいコーヒーを入れたり、料理を作ったり、タルトを焼いたり、手ぬぐいを縫ったりしている人々は、それぞれにちゃんと生き生きと繁盛している。いろんな巡り合わせや、どうしようもない噛み合わなさでつらい思いをしている人も多いだろうけど、「他人や社会が悪いから自分の仕事がない」という思い違いをしている人もまた、かなりの数だろう。そういう人は、百年に一度の好景気の時も「オレの取り分はもっと多いはずなのに」と、恨みがましい顔をしているに違いない。

 「雨もしょっちゅう降り、蛇口をひねればジャージャー水が出てくるところに住む人」がいるとしよう。その人が「いかに水の恩恵に包まれているか」ということを「砂漠にポツリとある井戸の水を、押し頂くようにして使っている人」の感覚で語られても、それは、突き詰めれば真実かもしれないけれど、現実的には無理があるだろう。使ってるその人は「え、だって、ひねれば出てくるじゃん」という感覚かもしれないのに、「あの、どんな苦労をしてでも手に入れたい、かけがえのないすばらしい水をザブザブ使う、それこそが真のあるべき姿だ」と言われても(「水のかけがえのなさ」はちょっと脇に置かせてもらって)、それはちょっと思い込み過ぎなのではなかろうか。
 お金持ちがサラリといい感じでお金を使うことについて、ある貧乏人が「あんなふうに使うことこそいいのだ」と言ったところで、サラリと使う当の本人は、それがサラリなのかなんなのか意識もしないうちにサラリと使えてしまっているのだから、その貧乏人がそれを望むのはかまわないけれど、人にまで「サラリと使えなければ嘘だ」と言い立てるのは、なんだかなぁ、御説ごもっともですけど…。


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