ぴんよろ日記
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| 2009年04月14日(火) |
麻痺してないんですけど…。 |
夜中の雨で葉っぱたちがなにかを吹き込まれたらしく、一夜にして木々の緑がモリモリに。山も一回り大きくなったみたいだ。お昼から晴れるとの予報に望みをかけて、洗濯と掃除。 人に死をもたらす、あるいは大きなダメージを与える、ということで「病」と「犯罪」は共通しているが、これを取り扱うに当たっては、いわゆる「難関大学」で得る膨大な知識や技術や、時に社会的地位なども伴わせつつ、それを専門とする人が任を負ってきた。こないだ同窓会で、お医者さんになった人と話していて「ある種の感覚が麻痺していないとできることではない」ということを聞いた。これは「患者を人と思わない」というような次元のことではなくて、「すごい傷口にいちいちゲロ吐いてたら務まらない」という、とても単純で生理的なことだ。でも、これは、毎日救急現場で次から次に大変な状態の患者を処置している彼にしても、長い時間と志をもって「麻痺」を獲得したのだ。これからも、この先も、医療現場に素人が連れてこられて、「さぁ、病巣切除を!」とか「足の切断面にガーゼを!」なんてことは、よほどの天変地異でもないかぎりないのだろうけど、裁判員になるってことは、つまり、「人の心の『異様な臭気を放つ病巣』」とか、「生活の『血まみれ切断面』」を、特別な「麻痺訓練」を経ていない「普通の人の感覚」のまま直視し、場合によっては執刀しなくてはならないということだ。新聞やニュースに現れる殺人犯のうつろな顔を見るだけでもイヤな気持ちになるのに、それを生で見せられ、犯罪の経過や状況写真を事細かに突きつけられたら、かなりのダメージを受けそうだ。裁判が終わったらきれいサッパリ忘れるなんて絶対にできず、暗い気持ちのまま暮らしていくことになるだろう。たしかに犯罪は社会的なものかもしれないし、「普通の人」にも関係のあるものだろうし、法曹関係者にはない「一般市民の感覚」が取り入れられてしかるべき、という考え方もあるだろう。でも、メディアというガラス越しではなく、「生(なま)の犯罪」に直接手を触れるってことは、音楽を音の悪いラジオで聞くか、ライブに行くかの違いくらいは軽くあるだろうし、ひょっとしたら、お産のシーンをテレビで見るか、実際に産むかというレベルで違うかもしれない。そりゃ痛い!それほどまでにヘビーなことを、無作為に選ばれたくらいでやるべきなのであろうか。私は、申し訳ないけれど、できることならば一生、事故でぐちゃぐちゃになった手足の手術には立ち会いたくない。もちろんそれを治療することは必要なことであるし、尊い仕事であるし、もし身近な人がそういう目に遭えば、輸血でも移植でも、できるだけのことはしようと思う。けれど、私は「人のケガや病気を治す」という任を志してこなかったし、これからもすることはないだろう。それは「犯罪」に関してもおなじだ。できれば人殺しの顔は見たくないし、殺人現場の写真は目に焼き付けたくない。「そんな生理的なレベルではなくて、もっと高尚な理想のもとに進められるのだ」と言われればそれまでだが、「生の犯罪」が「普通の人」に与えるダメージを、すでに「職業的麻痺」を手に入れた人たちが低く見積もっているのなら、それはとても危ないことなのではないだろうか。
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