ぴんよろ日記
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2008年01月26日(土) 引き受ける

「プロフェッショナル」で、
玉三郎とイチローが2週立て続けにあった。
二人とも、とんでもない才能やら努力やら心がけやらの上に、
大変な場所で日々を過ごしているのだということが、
今さらながら伝わってきたが、
二人を並べてみると、玉三郎が持つ「純粋さ」が、きわ立った。
玉三郎のあとにイチローを見ると、おなじ番組なだけに、
イチローの雑味というか、不純物というか、迷い、若さ、などが、画面に漂う。
それは、いい悪いではまったくなく、
けっこう単純に、年齢の違いのようなものに由来しているのではないだろうか。

ジャンルは違えども、
その道における、似たような深さ、高さの絶対値に向けて進む二人。
(玉三郎もイチローも、自分が見ようとしているものは見えず、
 しかし、あるのは間違いがない、というようなことを言っていた。)
でも、どんな天才だろうが努力家だろうが、進むには時間がかかり、
その道のりの中には、似たような浮き沈みや迷い道や落とし穴があるのだろう。
凡人にはわからないレベルのものも多数あるに違いないし、
ひょっとしたら、凡人の前にだってあるものだけど、
それに気づくか気づかないか、気にすることができるかできないかが、
凡人かそうでないかをわけるのだ。

と、そのような道のりを歩むにあたって、
玉三郎は、いまイチローが取りまかれているような「もや」のある場所からは、
幸か不幸か、もう抜けてしまっていて、またその先の、
これまたそこにはそこにしかない、
かなしいまでに美しくこまやかな光にあふれた場所で、
なにかを見つめつつ、肉体を生きる自分と折り合いをつけているようだった。

玉三郎という人生を引き受けるというのは、どんな魂なのだろうか。


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