ぴんよろ日記
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「プロフェッショナル」で、 玉三郎とイチローが2週立て続けにあった。 二人とも、とんでもない才能やら努力やら心がけやらの上に、 大変な場所で日々を過ごしているのだということが、 今さらながら伝わってきたが、 二人を並べてみると、玉三郎が持つ「純粋さ」が、きわ立った。 玉三郎のあとにイチローを見ると、おなじ番組なだけに、 イチローの雑味というか、不純物というか、迷い、若さ、などが、画面に漂う。 それは、いい悪いではまったくなく、 けっこう単純に、年齢の違いのようなものに由来しているのではないだろうか。
ジャンルは違えども、 その道における、似たような深さ、高さの絶対値に向けて進む二人。 (玉三郎もイチローも、自分が見ようとしているものは見えず、 しかし、あるのは間違いがない、というようなことを言っていた。) でも、どんな天才だろうが努力家だろうが、進むには時間がかかり、 その道のりの中には、似たような浮き沈みや迷い道や落とし穴があるのだろう。 凡人にはわからないレベルのものも多数あるに違いないし、 ひょっとしたら、凡人の前にだってあるものだけど、 それに気づくか気づかないか、気にすることができるかできないかが、 凡人かそうでないかをわけるのだ。
と、そのような道のりを歩むにあたって、 玉三郎は、いまイチローが取りまかれているような「もや」のある場所からは、 幸か不幸か、もう抜けてしまっていて、またその先の、 これまたそこにはそこにしかない、 かなしいまでに美しくこまやかな光にあふれた場所で、 なにかを見つめつつ、肉体を生きる自分と折り合いをつけているようだった。
玉三郎という人生を引き受けるというのは、どんな魂なのだろうか。
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