ぴんよろ日記
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静かな雨。 そういえば雨の日って好きだったな、と思い出す。
外国語で書かれて日本語に翻訳された本を、 わりと生理的な理由で読まずにやってきた。 しかし最近読んでいるのは、気づいてみたら、翻訳されたものばっかりだ。 このことに、ホントにさっき気づいた。びっくりした。 別に日本のものだからいいとかダメだとか、そういうんじゃない。もちろん。 いま現在、アタマや心や身体が必要としている、 文章から取れる栄養のようなものが、たまたま外国産のもの、 外国の人が書いたものだったというだけなのだ。
ただどうしても翻訳された文章というのは、読むにあたって、 どうしようもない疲れが生まれる。 煮込んだり、よく焼いた料理ばかりを食べているような。 だから時々、刺身や酢の物として、日本人が書いた本を合間に読んだりする。 これがまたどうしようもなく、スッと入ってくる。 あぁ、いいなー、これこれ、しみるー、と思いつつ、 やはり今はまた、煮込みを食べに戻るのだった。
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こないだ、緑がかったヘンな色に染めたはずの髪だが、 どんどん黄色の要素が威張ってきてしまい、 たまに会う人からは驚かれたりしてしまう。ヤンキーとかサーファーとか。 自分は毎日見ているので、よくわからない。 黒いときもあれば茶色いときもあるさ、という程度。 飽きたら、またどうにかするだろう。
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昨日の夜は父とごはんを食べた。 父は障害者の授産施設の仕事をする人だ。 さいきん新しい施設ができ、そこでは「長」のつく偉いポストに就いたらしいが、 偉いとか偉くないとかいう次元で生きるような人ではまったくないのが魅力だ。 私と違って、人と話したり交渉したりするのが大得意なのも尊敬。
新しい施設に通ってくる人たちは、障害の程度がかなり重くて、 施設を始めるのはいいが、彼らにどんな仕事ができるんだろうと、 正直不安に思っていたそうだ。 でも、開所から2ヶ月ほど経ち、 はじめは何にも手に付かず、その辺をウロウロしていた彼らが、 今でははたくさんのパン生地を丸めたり、 小物を作るための端切れを、着物をといて作ったりしているらしい。 しかもすごく熱心に。休めといわれても休まないくらいに。 パンが焼き上がる時は、すばらしく嬉しそうな顔をするという。 父は、それが「仕事」だからだ、と力説する。 そのパンや小物が、趣味や教育のためのものではなく、 世の中に商品として送り出すもの、 つまり彼らの「仕事」として存在しているからだと。 仕事は、本当に、人間が生きていく上で必要なものなんだと。 お金をもらうもらわないということばかりが、 仕事を語る上で重要視されるけれど、仕事がもたらしてくれるものは、 そんな、お金だけにとどまるようなものでは全然ないということが、 彼らを見ていると、とてもよくわかるし、 父自身が「この仕事をして良かった」としみじみ思ったらしい。
仕事のよろこびは、 かなりお金の問題に邪魔されて見えづらくなってはいるが、 人間にとって、思っているよりもはるかに根元的なもののようだ。 仕事のよろこびは過小評価され、 お金のよろこびと、それを消費するよろこびばかりがもてはやされる。
そしてもうひとつ、障害者を、たとえばメディアが取り上げるときには、 どうしても「アート」か「スポーツ」なのが、これってどうよ、という話もした。 「障害者に仕事をさせるなんて」という意識がある一方で、 「障害者だから、この色使いが出せるんだわ」という幻想もある。 たぶん、どっちも的はずれ。
仕事の価値がよくわかんなくなっている今、 彼らの姿を通して見てみれば、それが大きく浮かび上がる可能性は高いと思う。 そしてこれは、彼らの表情が訴えるものが多いはずだから、 テレビの方がいいんだろうけど…「ブーメラン」があったらやるのになぁ。
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今日はダンナも休み。 起きてさっそくドラクエに励んでいる。 昨日どこまでやったかわからなくなっていたらしいが、 それを思い出したことが、大きな独り言で伝わってきた。
「あ、そうか、タコにやられたんだ」
タコに…。
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たぶん10数年ぶりに「ランドール」でカレーを食べた。 辛さを2倍にしたのだが、こんなに辛かったかと思うくらい辛かった。 普通に食べてた気がするんだけどなぁ…。 デザートのレモンブラマンジェに至るまで、味は変わらず。 また10年くらいは食べなくてもいいか、と思った。 飽きる味、というのでもないんだろうけど…。
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