| 2003年12月22日(月) |
【番外編】そんな所にキスするなんて…… |
普通に出逢い、普通に恋に落ち、普通に体を重ねる。そんな「普通」を経験できないどころか、異常な状態を世間一般であると思い込まされた女の存在は、それを目の当たりにした僕にとって衝撃的なものでした。その背後には、男という獣(けだもの)の身勝手と、社会が包括する性問題までも見える気がしたものです。 今年一年間に公開したコラムのなかで、第二位に三十ポイント以上の差をつけて堂々の第一位に輝いたのが、三月十七日に公開したこの「そんな所にキスするなんて……」というコラムでした。もちろん、その内容に反響があったとは解釈していません。各日記系リンク集に更新報告をしたところで、所詮はタイトルでしか「最初のワンクリック」を判断できないのですから、内容よりはむしろタイトルに反響があったというべきなのかもしれません。 このタイトルから、果たして読者の方々は何を連想されたのでしょうか。いま改めて考えてみても、その内容は多岐に渡るように思えます。むしろ僕がコラム本編で書いたような僕自身の経験などは、想像しなかった方のほうが多いのではないでしょうか。さりとてそれがウェブ世界の掟であるならば、そこから読者層を広げるのも著者の力量でしょうし、どのような内容を読者が想像したかを考えることも、書き手として学ぶべきもののようにも感じられます。 恋愛にしても結婚にしても、互いの位置や関わり方というのを考えるのは、他でもない当人同士でしょう。そんなものはマニュアルがあるわけでもありませんし、当人同士が納得していれば他がとやかくいう筋合いのものではないように思えます。これは、幸せというものに決まった形がなく、その時々、その人たちによって、さまざまに織り成されることに似ています。 けれどだからといって、それを盾に生きてよいという理屈にはならないでしょう。人は誰でも、幸福になる権利を手にしています。それは誰かの価値観で左右されるものではなく、自分自身の人生は自分自身で歩まねばならないという絶対的な論理の下に与えられた権利です。それを無視し、言い換えると相手の人権を尊重せず、自らの価値観のみで恋人や夫婦というものを考えるのは少々乱暴ではなかろうかと僕には思えるんです。 悲しいことに、現代にあっては、じつに幼稚な男の大人が大勢生まれてしまいました。ある意味で頂点に近いともいえる経済立国のなかで生まれ育ち、社会という枠の中で人間性を度外視した機械人間として生きてきた男たちのなかから、野獣にも似た人種が生成されるのも無理はない気がします。上手に人間として生きる術を、身につける事ができなかった人たちです。 そういう男の牙にかかった女も不幸ですけど、男のほうも可哀想だなと思います。社会や組織の価値観を基盤に生きることは、彼らにとって日常であり決められた道筋のようにみえるところもあるでしょう。それを真っ向から否定するつもりは、僕にもありません。されど、いずれは社会や組織から離れ、その役目を終えるときが来る事を思うと、その瞬間の彼らの存在はどうなるのだろうかと胸が痛くなってきます。 僕はこのヲトナごっこを通じて、これまで再三にわたって「人間であること」を書いてきたつもりです。社会の一員であることを捨てろとは言いません。組織に組していることをいけない事とも思いません。ただ、それ以前に人間であることを、決して忘れて欲しくないと願っています。世にある問題、とりわけ男女間の問題の多くが、その辺に原因の根を潜めているように思えてならないからです。 結婚して子供までいるのに、クンニすらしてもらったことがない女。夫の自分に対する乱暴で身勝手なセックスが、いわば普通のセックスであると思い込まされていた女。人間としての尊厳など無視され、あたかも檻で飼われた動物の如く扱われている女は、僕が知らない世界にも大勢いるのかもしれません。僕はそんな屈折した社会の、ほんの氷山の一角を見ているに過ぎないのかもしれません。 そう思うと、いかに男というものが身勝手な生き物なのか、社会というものが彼らをどれほど屈折した生き物へと変貌させてしまったのかを痛感もします。 男だけに原因があるわけではないと、そう仰る方もいるでしょうね。その言もわかるところはあります。けれど、相手を思いやることが愛であって、夫婦手を携えて生きていくのが常道であるならば、一方的な価値観や方法論の押し付けはやはり間違っています。悩み苦しむ人たちがすべて、自分と同じように生きられるとは限りませんし、それぞれに事情があり個々の性質を持つ以上は、それを尊重すべきだと思うからです。 単一の社会に組して生きていくからには、そこにあるルールやモラルを遵守すべきであると僕も思います。しかし、それを逆手にとって闊歩している輩をみるにつけ、これでいいのだろうかと思う気持ちもありますし、だからこそそれに抗して、人間として与えられた人生や幸福を考えるべきであろうとも思えるんです。 タイトルを見てこのコラムを開いた方は、「エッチなことが少しも書いてないじゃん」と憤慨されることでしょうね。すみませんでした。けれどもしも、性というものを興味本位や欲望のみで捉えているのであるなら、この機会に是非とも、男と女というものを真剣に考えてみて欲しいと願ってやみません。 決して脅すつもりなどありませんが、あなたのそういう身勝手な考え方や行動は、いずれ必ず、あなた自身へと降りかかってきます。二十歳そこそこのあんちゃんが言うなら信憑性も薄いでしょうけど、不惑の四十を過ぎたおじさんがいうのですから、多少は説得力もあろうかと思います。なにより、あなた自身の幸福のために、身勝手な価値観は捨てて、異性と真正面から向かい合ってみてください。 目先の快楽になど惑わされず、人間として与えられている立場や役割を理解すれば、そこから自ずと、あなたらしい道が開けてくるのではなかろうかと推測します。そういう人がひとりでも増えてくれることを祈りつつ、今年の番外編を締めくくることにします。
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