先生妄想日記

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2007年03月15日(木)    2

いじめで自殺を選んでしまうほど傷つくのは、純粋な被害者ではあり得ないからだと思います。
いじめなんてくだらない、そんな手段しか選べないなんて幼稚なやつらだよな。
そんなふうに思いながらも、でも、やっぱり、そんなふうに扱われる自分は、そんなふうに扱われるだけの人間なんだと、心のどこかで、思ってしまうと思う。
例えばその場所から逃げても、私はそれだけの人間だという気持ちは、なかなか拭えない。
純粋な被害者なんだって思えたら、もっと物事は簡単なのにね。

いじめだかセクハラだかなんだかよーわからんものを受けていた、前の会社時代、1年過ぎるまで、自分がいじめられてる自覚はなかったもん。
1年経って、私に後輩が出来て、部長のターゲットが後輩の一人に移ったとき、私ってあれと同じことをされてたのか!めっちゃいじめじゃん!と、初めて客観的に見た事実に、すごくびっくりした。
そんでその後輩が1ヶ月で行方不明になって、再び私がターゲットになったら、もう駄目、耐えられない。気付かなきゃ、1年も耐えられたのになぁ。
でも、その後輩(未だ行方不明らしいよ)のことは、いじめの被害者だって思うのに、同じことされても、自分は被害者だって思えないの。
だって、私にも部長が苛立つ要素はあったんだって思うもん。
仕事は遅いし、とろくさいし、テンパるしな。
しかも、あんなことされても、1年も気付かないでヘラヘラしてたくらい、アホなんだぜ。
そりゃいじめられて当然。辞めろって思われて当然。仕事できないんだから飲み会の後とかにいろいろ触られたりして当然。みたいな。
そんで、そういうことを、数年経った今でも思う。

真剣に人間関係を築こうとすれば、意見が衝突したり、うまくいかなかったりすることが、あるじゃろ。そういうとき、私は思う。
「あの会社であんな扱いを受けてたような人間だからなぁ。他人とうまくいかなくて当然だよな。だって私はだめな大人だからなぁ」
て。
「いじめを受けるほうにも問題がある」っていうのは、ある意味的を得ていると思う。少なくとも、私は自分のことは、そう思ってます。
わはは、心底根暗だ。

カオリ、私は、あんたに、そんなふうに思って、大事な10代を過ごして欲しくない。



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