このごろ / 幸せの方程式 - 2002年08月17日(土) 昨日撤去された自転車を鳥羽街道まで取りに行った。 ++ 楽しみにしていた写真が出来上がりました。 キャメラマンさまの腕の良さで、構図はどれもいい感じです。が。見た瞬間、被写体(=私)のブタ顔が並んでいるぅぅぅぅ!とダイエットとメイク術のスキルアップの必要性を痛感(汗汗)。またお教室でも行くか。 ですが。さすがそこはセミプロ。 フィルターをかけた写真だと、光が柔らかくなり、輪郭も柔らかくなります。愛らしく爽やかな感じになり、とても気に入りました。筆者近影と言う感じでHPにもアップしちゃいたいくらいです! ありがとうございました! ++ 八月に入り、体調を崩したこともあって(そして単位がヤバそうということも遠因としてあって)、この頃或る生活・・・ばりばりバイトをする生活・・を放棄しつつあります。無理なくやっていこうというか。換言すると、学生であることを有り難く思うようになり、学生であることを受け入れ始めたというか。。(夏休みがあるということで、なんか理由が違いますが。汗汗) そんなわけで、容赦なくバイトを減らしつつあります。 新聞社の入力は9月上旬まで、家庭教師も4人受験生を持っていたのを2人に(それも無理にいれ過ぎないようにしてます)、、 後期からは授業もビッシリ入るしね。 ++ この頃、薬が効いてきたのもあって、 子連れの若い父親やリュック姿のファミリーを見ても 大分平気になりました。 今日も家庭教師で優しく対応(?)できました。 涙の土砂降りが今は時々ちょっとした青空の中のぱらぱらになってこぼれてくることがあるけど・・文学部にいた時、無為に断続的に投薬を受けてたなぁとか、楽しい青春ってあったのかな、とか、、確かにひとりだった、だけど遠巻きに心配してくれる人たちがいたのも確かで、無為に過ごした時間かもしれないけど、その間に教員免許とれたし、so soかな、って。 まぁ、これからどう生きるかだよね。。 幸せ、 ひとまず精神的に安定して学業に励めること。 さらには充実感をもって健やかに生活できること。 で、精神的安定と体調を整えつつ、 ひとまずの目標は9月の試験を乗り切ること。 そして(いまさら彼氏君との楽しい青春を取り戻そうなんて ちょっと何だし、ゆくゆくは子育てしたいし)結婚する方向でがんばろ、と思ってるわけです(就職に関しては、今考えてもしゃーない)。 もちろん、一人は生存の恐怖すら感じることもあるけど、 一人はある意味で気楽でもあります。 ぶっ倒れない限り、晩御飯にプリンとシュークリーム食べてたっていいわけだもん。 (さしあたり?)週末婚とか、そういう話もありえなくもなさそうです。 それでも、結婚したいのか? 頂き物のケーニヒス・クローネのケーキ。 直径15cmでさほど大きくはないのだけれども、 もうガツガツ食べれる若者ではなくなった私には大きすぎて、 正味期限が切れてしまった。 誰かと分かち合いたいと思う。 その方が断然美味しいと思う。 学校のある時なら、持っていくけれども、 今はね、お茶に呼べそうな近所の友人もどうやら調査に行ってるらしいし、 ケーキ一つにも困るのよね、一人暮らしって。 週末婚なら生活を共にするというのとは微妙に違うかもしれない。 でも、全く一人よりはいいよね。 何がいいのか、あるいは正解はないのだろうけど、 多分(希望的観測、かどうか現時点では不明ながら)、 そのうち私も結婚するんだろうな(というか、結婚するために各方面にお願いしてぼちぼち動いてるわけで)。 それが幸せであること/幸せにすることを祈りつつ。 ++ 先日実家で、「執念勝ちといわれてもいいから結婚してやるぅぅぅ!」と私がいっていたら、私を安心させる意図もかなりあるんだろうけど、母が 「そんな、執念勝ちだなんて!そんなこといわなくったって、あんたは必ず結婚すると思うわよ。選びたい放題になるわよ!だから焦って変な人捕まえるんじゃないわよ」と言った。 母の言うこと、変わったなと思った。 3年くらい前は(ずっと前から「あんたはいいお母さんになる」とは言っていたものの)「あんたがやろうとしてることは厳しい道なのよ。あんたみたいなのは理解してくれる人見つけるのは難しいよ」と言っていた母だが。 母の私への評価が変わったのか(だとしたら、50歳をこえて変わることができる母を誇らしく思う)、単にその場のノリなのか分からないが、 少なくとも言葉通り取るなら、母も、私も、変わったのだと思う。 中学2年生の時、なぜかすでに自分は結婚できないと思っていた私、 結婚しない、したくない、キャリアウーマンになるんだと思っていた私 (結婚は墓場で、女も自立してなきゃいけない、と思い込んでいた。けど、自立と一人というのは違うんだよね) 可愛くないと思い込んで震災のあとにクラスメートの御葬式よりも自分のことで泣いた私、そんな私にとっての、 ささやかながらもコペルニクス的転回を経ているのかもしれない。 -
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