ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

吉井コラム更新 - 2006年12月18日(月)

公式サイトのコラムが更新されて、今回のLIVE延期についてのお詫びが書かれていた。
『生まれて初めてのコンサートを飛ばし』に相当猛反省しているようだ。
専門医に看て貰って声帯の画像を撮り、ステロイドも処方されたそうだ。
『葉書サイズだから年賀状にしようかと思った』とか『声帯って見た目がちょっとH』とか、
実に吉井らしい表現に笑ってしまったけれど、とにかく無事快復してくれて良かった。
確かに声帯の画像って、閉じたり開いたりピンク色だし、考えてみればHだわね。
吉井の声帯の形状がどんな風になっているのか非常に興味があるけれど、
恥ずかしいそうなので公開は無理みたいで残念(笑)
それでも、自分の「声帯」の画像をその目で実際に目にし、
がどれ程の宝である事か、『自分一人の声ではないんだと』いう事が
骨身に沁みたようなので、過度の喫煙や飲酒など、喉にとって有害なものを
少し控えるきっかけになったのでは、と期待している。


コラムの後半に、最近『自分が死んだら火葬や土葬は嫌だ』と強く感じて、
故郷の用宗海岸の沖に『そのまま投げ捨ててほしいと思った』等と書かれていて、
少し危うさを感じた。
この前の「赤ちゃんを抱きたい」の時も『死期が近づいているんじゃないか』と
自分で言ったりしていて、どうもこの人は直ぐそういう「死」を簡単に口にする
傾向があるけれど、そういう聴いている者に不安を与えるような表現は、
正直止めて頂きたい。
「癖だから」とは、思いつつも、あんまり気分の良いものじゃないと思うなあ。
ちなみに「水葬」は、腐敗やら何やらで非常に悲惨な状況に為るそうなので
是非考え直して頂きたい。(それ以前に日本では認められないだろうけれど。)
それだったら、もし叶うなら私は、以前吉井自身が話していた「チベットの鳥葬」に
憧れる。命を喪った肉体が鳥葬士らに解体され鳥たちについばまれ、骨だけになり、
その骨を砕いて撒いて、最後には鳥たちが綺麗に食べ尽くして仕舞う。
文字通り大地に還るのだろう。
最高の葬送だと思うけれど、現代の日本では出来る筈も無い。
死にゆく者の我がままという気も少しする。
葬儀とは、亡くなった人の冥福を祈り別れを告げる儀式だ。
残された者の癒しの場であり、死を受容する場なのだ。
チベットとは、死生観、宗教観の違う日本では、
「水葬」が良いの「鳥葬」が良いのだのと、個々の死にゆく者のエゴで、
残された者が悲しむ事など無いようにしたいと感じた。


LIVEのコーナーに12/15の「盛岡市民文化ホール」でのLIVE写真も更新されていて
『後はパフォーマンスで応えます。』の言葉通りの頼もしい姿を魅せてくれた。
年内はあと6公演、どうかキラ綺羅眩しいロックスターのオーラを振り撒いて下さい!






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