浪人時代に聞いていたのが、ラジオたんぱの「合格いっぽん道」。
月曜のアシスタントが、小長谷悠紀(元IBCアナ。というか、青島達也アナの奥さん、といった方がメジャーか?)だったり。むしろ、その次の代の月曜アシスタントが、NTVの角田久美子・元アナだったことの方がメジャーなのかね。
で、金曜のパーソナリティがラサール石井さんで。
毎年3月に、リスナーの合格を祝う「合格祝賀激励会」ってのをやってたんだが、俺が合格したときに、(毎年のことだが)ラサールさんが欠場で、その代わりに賑やかしにやってきたのが石井光三社長だったという覚えがある。
合掌。
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芸能プロダクション、石井光三オフィス会長の石井光三(いしい・みつぞう)さんが6日に死去していたことが13日、事務所から発表された。83歳。 かねて、胆管がんで病気療養中だったが、都内の自宅で近親者にみとられながら死去した。葬儀告別式は故人の遺志で近親者のみですませた。「お別れの会」の開催については未定。 1931年(昭6)10月13日生まれ。39年にJO京都撮影所(旧東宝京都)入りし、46年には東横映画京都の第1期ニューフェースになった。52年には宝塚新芸座入りしたが、63年にタレントを引退して松竹芸能株式会社に入社してマネジャーに転身した。やがて、83年に石井光三オフィスを設立して、06年に会長就任。事務所には現在、ラサール石井、清水よし子、竹内郁子、磯野貴理子、内山信二ら多くのタレントが所属し、石井さんもタレント「石井光三」として活動をしていた。 日本テレビ系「思いっきりテレビ」、「ルックルックこんにちは」などのワイドショーや、フジテレビ系「オレたちひょうきん族」などのバラエティー番組に多数出演。映画「女衒」にも出演するなど、お茶の間の人気者だった。特に撮影現場では「弁当ありまっか、弁当!」と弁当を探しだれも食べない残り弁当を見つけると、「これ、もらえますか」と連発。このことがテレビ出演きっかけともなった。
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