KAMMYの日記

2004年05月20日(木) 【追悼】金田一春彦/サンボ浅子

 昨日の日記を補完しています。(前説へのリンク追加)

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 今日は、追悼二題。

 方言の研究や国語辞典の編さんで知られる国語学者の金田一春彦(きんだいち・はるひこ)氏が19日午前11時10分、くも膜下出血のため甲府市の病院で死去した。91歳。東京都出身。葬儀・告別式は22日午後零時半から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻、珠江(たまえ)さん。
 言語学者、金田一京助氏の長男として生まれる。東大卒。東京外国語大、上智大教授などを務めた。方言やアクセント研究の第一人者で、「明解古語辞典」「三省堂新明解国語辞典」など多くの辞典の編さんに当たった。
 1982年、芸術選奨文部大臣賞、97年文化功労者。「日本語セミナー」「日本語方言の研究」など多数の著書がある。「笑っていいとも」などのテレビ番組にも出演、軽妙な語り口で親しまれた。(産経新聞速報より、一部補足あり)

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 金田一先生といえば、「じっちゃんの名にかけて!」・・・ではなく、「新明解国語辞典」などでお馴染みなのだが、その奇妙奇天烈な例文各種が、「大橋照子のラジオはアメリカン」等でさんざんネタになり、「新迷解国語辞典」と呼ばれた。
 覚えているネタとしては・・・
・素人の例文「素人には手を出すな」。ぼくはこれを読んで、夜の街に繰り出す金田一先生のプレイボーイスピリッツを学ぶことができました。

 って、他に思い出せないし。

*参考
【ラジアメ】ラジオはアメリカン(2ch懐かしラジオ板)
金田一春彦先生に捧ぐ
新明解国語辞典を読む

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サンボ浅子さんが死去(記事:スポナビ

 元FMWプロレスラーのサンボ浅子(本名・浅子文晴=あさこ・ふみはる)さんが18日午後9時38分、糖尿病のため都内の病院で死去した。享年40歳。

 浅子さんは、1963年(昭和38年)8月27日、東京都中央区出身。サンボ世界選手権2位の実績を経て、89年に大仁田厚率いるFMWに入団。同年12月1日の大阪府立臨海スポーツセンターでの徳田光輝戦でデビューした。FMWでは第3の男として活躍。FMW1周年記念興行となった90年11月5日の駒沢大会では“ソ連の柔道王”グレゴリー・ベリチェフにトペ・コン・ヒーロを放つなど巨体に似合わぬ軽い身のこなしでファンの人気を集めた。しかし、一時は160キロに増えた体重からひざを痛め、95年1月5日のFMW東京・後楽園ホール大会での大仁田とのシングル戦で現役を引退。その後、大仁田興行で復帰したが、02年11月に糖尿病からくる壊疽(えそ)で右足をひざ上から切断、右目も緑内障で視力をほとんど失っていた。

「サンボ浅子お別れ会」は、23日午後1時から、東京都江東区富岡1の15の9、富岡斎場で行われる。喪主は兄の浅子仁貴さん。葬儀委員長は大仁田厚が務める。

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 サンボ浅子。
 初期FMWの、一応四天王の一人。その四天王とは、大仁田、ターザン後藤、リッキー・フジ、そしてサンボ浅子。FMWのパンフかなんかで、鳥栖でのトーナメントで「ターザン後藤vsサンボ浅子。実力者同士の戦いは迫力満点」と書かれていて苦笑した思い出がある。
 男女混合マッチで、女子選手にセクハラをして全員から袋だたきにあう役(今じゃ男女混合マッチも当たり前になったし・・・)。

 その方が・・・

 糖尿病、恐るべし。

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 合掌。



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