KAMMYの日記

2004年02月16日(月) 〜決戦前々夜〜7年前の一次予選

 といっても、これ書いてるのは2月16日(月)朝なのだが。
 昨夜寝ているとき、ふと「7年前のW杯一次予選はどんなんだったのか」というのが、細かい中身まで思い出せなかったので、調べて書いておく。


***
◎フランスワールドカップアジア一次予選4組
(日本、オマーン、ネパール、マカオの4チームによる2回戦、ダブルセントラル方式)

○オマーンラウンド
・1997/3/24
ネパール 1(1−1)1 マカオ
      (0−0)

オマーン 0(0−1)1 日本
      (0−0)
【得点】10分(日本)小村
【日本】川口、柳本、相馬、井原、小村、山口、名波、本田、森島、カズ、城
*共同通信報道
 せっかくの勝利にも、イレブンに笑顔はなかった。ホイッスルが鳴った後、うつむきながら、サポーターの陣取るスタンドの方へ歩く。照明を浴びる背中には、なぜか落胆の色がまじった。
 W杯予選で第1の難関だったアウエーでのオマーン戦。その壁を越え、ひとまずほっとしたはずの加茂監督から本音が漏れた。1−0のスコアに「2−0にしたかった。もう1点取ってたら、1次予選は終わってた」と言うのだ。
 確かに、ライバルのオマーンに2点差で勝っておけば、6月のホームでの2回戦を優位に進めることができる。だが、ベンチのいすから立ち上がり、大声で指示を飛ばしても、追加の1点を手にすることはできなかった。
 最悪でもこの初戦に負けることを避けたかった日本は、先制してから失点を防ぐための安全策で、攻撃面がいまひとつおろそかになったようだ。
 アタックを仕掛けるメンバー交代もゼロ。加茂監督は「守りのリズムが崩れていなかったから。1−0の試合は難しい」とその理由を説明した。
 決定的なシュートを打てなかったFWの三浦知は「ぼくと城はマークされるので、後ろが早く来てくれないと…。チャンスがなかった」と守備重視のいらだちを言葉に込めた。
 組織的な防御のよさが好材料となった半面、前に出ていこうとする意識が最後まで続かなかった第1戦。格下のマカオ、ネパールを相手にした今後の戦いでは、守備プラス攻撃力が望まれる。
 冷や汗の終了間際
 終了間際のロスタイム中に、日本は2度も冷や汗をかかされた。もし失点しても望みが消えるわけではなかったが、4年前のドーハの悪夢を思い起こさせた。
 まずは右ロングスローを途中出場のザービが頭でシュートを狙うと、ボールはGK川口の頭を越えてバーへ。直後には、川口が相手の低いロングパスを前に出て処理しようとしたところ「(ペナルティーエリアの)ラインから出てしまって、手を使えなかったので」と後ずさりしてファンブル。突っ込んだ相手FWにボールを引っかけられ、あわやの場面になった。

・1997/3/26
マカオ 0(0−3)10 日本
     (0−7)
【得点】(日本)高木3(広島)相馬(鹿島)三浦知2(川崎)=PK1、名波(磐田)森島3(C大阪)
【日本】川口、柳本、相馬、井原、小村、山口(→北澤)、名波、本田、森島、高木(→岡野)、カズ

オマーン 1−0 ネパール

・1997/3/28
ネパール 0(0−1)6 日本
      (0−5)
【得点】(日本)城(横浜M)高木3(広島)小村(横浜M)本田(鹿島)
【日本】川口、柳本(→中村忠)、相馬、井原、小村、山口(→北澤)、本田、名波、森島、高木、城

オマーン 4(2−0)0 マカオ
      (2−0)

○日本ラウンド(国立)

・1997/6/22(日)
ネパール 0(0−3)6 オマーン
      (0−3)

日本  10(6−0)0 マカオ
      (4−0)
【得点】(日)17分、61分中田、20分西沢、23分、29分、44分(PK),57分(FK),62分、79分三浦知、42分名波
【日本】川口、井原、秋田、相馬(→名良橋)、中村忠、山口、名波、中田英、本田(→森島)、三浦カズ、西澤(→平野)
<カズ自己記録更新>三浦知の1試合6得点は、W杯予選では1993年4月11日のアメリカ大会予選バングラデシュ戦(国立)で三浦自身が記録した4得点を抜く最高記録。国際Aマッチを含めても67年9月27日のメキシコ五輪予選フィリピン戦(国立)の釜本邦茂、83年9月7日のロサンゼルス五輪予選フィリピン戦(国立)の木村和司の6得点に並ぶ最多タイ記録。

・1997/6/25(水)
マカオ  0(0−1)4 オマーン
      (0−1)

日本   3(1−0)0 ネパール
      (4−0)
【得点】(日本)44分西沢、72分、87分三浦知
【日本】川口、井原、秋田、相馬、名良橋、山口、名波(→北澤)、中田英(→森島)、本田(→望月)、三浦カズ、西澤
*井原正巳がAマッチ通算100試合出場達成

・1997/6/28(土)
マカオ 2(0−1)1 ネパール
     (2−0)

日本  1(1−0)1 オマーン
     (0−1)
【得点】(日)4分中田(オ)18分サミル
【日本】川口、井原(→秋田)、相馬、斉藤俊秀、中村、鈴木秀人、山口、名波、平野(→岡野)、中田英、三浦カズ

***
 記録が長くなったが、俺自身の記憶が・・・あまりない。

 オマーンラウンドのときは、ちょうど仙台から東京への異動(今の会社への復帰)の直前で、結構ばたばたしていた記憶はある。で、日本の試合が3試合とも23時JST開始で、「とりあえづ最初のオマーン戦がヤマ」とは思いつつ、寝て、朝起きたら勝っていた。こんな感じ。

 で、そんなこんなで日本ラウンドは余裕で迎えて、初日は2試合、中日は日本戦は見ているはずだが、記憶がない・・・。で、千秋楽。この日はえらい雨で、とりあえづ第一試合(16時半開始)のマカオ−ネパール戦はBSで見る。で、戦前はネパール優勢の報道だったのだが、マカオが健闘して逆転勝ちで、場内大盛り上がり。で、国立行こうかと思ったが、
・この時点で、日本は9点差以内での敗戦でも一次予選は通過できていた
・この大会では、JFA後援会会員は当日会場に行けばチケットが「無料」で貰えたので、金的にはあまり痛くない
・風雨が激しかった
ので、結局欠場。食事買いに行って、帰ってきたら前半15分くらいだったので、ヒデの先制ゴールは見ていない。気づいたら同点で試合終了。

 やっぱ、最終予選の印象が強くて、一次予選はほとんど記憶にない、というのが正直なところ。

 ちなみに、ブランメル仙台(当時)は、オマーンラウンドの頃はナビスコ杯予選リーグ。清水、市原、そしてロペス・中田英を擁する平塚相手に1分(清水)5敗・・・。日本ラウンドの時は、エルスナーが辞任し、ルス体制でスタートしたデンソー戦(刈谷)。松永奮闘空しく、小林Vゴールで0V1で敗戦したのが、開幕前日の6/21(土)で、これで7連敗。で、日本の最終予選進出が決まった翌日の6/28(日)には、甲府相手にボンバー大倉の二発で2−0で勝利している。
 ついでに、U18クラブユース北海道・東北予選では、塩釜FC、C札幌に敗れて全国大会出場ならず・・・。

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 さらに遡ること、1993年アメリカW杯の一次予選になると、確か日本・UAE・タイ・バングラデッシュ・スリランカの5チーム中1チーム進出で、日本・UAEのダブルセントラル。日本ラウンドの、最初の日本−タイ戦が神戸ユニバで、他が国立だったかな。

○日本ラウンド
日本 1−0(1−0)タイ    カズ
日本 8−0(3−0)バングラ  カズ4、高木2、福田正2
日本 5−0(3−0)スリランカ 高木2、柱谷哲、カズ2
日本 2−0(1−0)UAE   柱谷哲、高木

○UAEラウンド(1993/4/28−5/7)
日本 1−0(0−0)タイ    堀池
日本 4−1(3−1)バングラ  福田、カズ、吉田(磐田)、高木
日本 6−0(2−0)スリランカ ラモス、井原2、高木、カズ、中山
日本 1−1(0−0)UAE   澤登

 このときはJリーグ開幕直前。俺は名古屋在住。試合は・・・「お、やってるね」程度の関心だった。


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