山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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一年あまり入院や転院を繰り返した後、父はやっと退院して自宅に戻った。ようするにそれ以上置いてくれないのだ。それまで専業主婦だった母が働きに出ることになった。父は半身不随ながらそれなりに若さで回復を見せ、少々の家事ならできるようになった。一人でバスに乗り一週間に一度の通院もできた。それでも右手右脚は殆ど動かず振り回しているような状態で触角がないようだった。それに言語障害が残った。全くしゃべれないということはないが、思ったことがすぐに言葉として出てこないとか、思ったことと別の言葉が出たり、全く反対の言葉が出てしまったりした。それもこれも日々暮らしているうちに軽減されてきた。
私の小学校の成績は概して良かった。通信簿の評価は殆どの教科が「5」であった。だから父が入院中は通信簿をもらうと勇んで見せに出かけた。そして周りの入院患者のおじさんたちに見せびらかして褒めてもらうのが楽しみであった。 でも中にはどうしても「5」がもらえない教科があった。図画工作の「図工」である。絵が苦手で写生大会などでもいつも最後まで仕上げられなかった。工作は嫌いではなかったけれど得意でもなかった。だから夏休みの宿題にはいつも苦労した。そういう意味では父は意外と器用だった。お盆が終わり夏休みも残り少なくなると、提出すべき作品ができずにそわそわしだした私に何気なく指示を出し始める。 「缶詰の空き缶を探してきれいに洗ってこい。」 見つけてくると次々と作業が待っている。 「ボール紙を買ってこい。」 「缶に合わせて丸く線をひき、それに沿って切り抜け。」 「定規を当てて左右対称に線をひけ。」 「のりしろ分余裕を取って切り取れ。」 「角を合わせて糊づけしろ。」 「くり抜いたところに空き缶を立てよ。」 とうとう出来上がるまで何を作っているのか教えてくれなかった。出来たのは当時で言うと「筆立て」、今なら「鉛筆立て」あるいは「ペンスタンド」といったところか。こうして夏休みの最終日に工作の宿題が完成し、次の日意気揚々と二学期の学校へ向かった。
父のこのちょっと意地悪ないやらしい性格はきっと幼児体験から出来上がっているに違いないと思う。父は幼い頃まだ小学校にも上がる前に両親に死別している。そのため兄姉弟三人はそれぞれ別々に親戚筋にあずけられた。兄のところとは違い、父は継母にいじめられたという。朝夕に牛の世話をさせられ、それも長時間かかったそうだ。世話を終えて帰ってくると家族の食事は済んでいた。冷たくなった残り物が父の食事だった。そしてある時それ以上我慢できずに逃げ出してしまう。どうも計画的に逃亡したようだ。そして現在住んでいる地域に根を下ろした。それによって母と知り合い、熱烈な恋愛結婚をしたという。この場面は詳しく教えてくれなかった。
孫文や辛亥革命について著した著作は数多あるが、本書は孫文の身にスポットを当て生涯を忠実に辿った伝記であるといえるだろう。死を前にして「革命いまだ成らず」と遺訓し、後の革命の完成を民衆に託したといわれるが果たしてどうだろうか。眉唾ものだと私は思う。後世の人たちの創作ではないのか。
孫文は理想主義者であったと思う。「建国方略」や「国家建設」などを著して世界中で最も理想的な民主国家を目指している。孫文は建国半ばで亡くなったが、いまだその理想国家は実現していない。現在の政権もその理想には程遠いにもかかわらず孫文を「革命の父」と崇めているのは面白い現象だ。孫文が建設しようとした「世界で最も新しい、最も進歩した国家」の骨幹を要約すると、 �� 独特な政治体制 �� 豊かな国家経済 �� 漸進的な土地改革 の3点になるという。なんとなく現在の中国で実現されつつあるように見えるが、それぞれ意味合いが違っているようだ。
また孫文はたびたび来日し日本人からも少なからず支援を受けたことはつとに知られているが、逆に日本政府は冷たかったこともあってか本書では日本との関係についてはほとんど触れていない。これについては別に詳細な本が各種出版されているのでそちらを参照することとしたい。
孫文が亡くなるところで本書もきっちりと筆を止め、その後については語っていない所が潔く好感が持てる。大まかに孫文の一生を知るには良書と思った。
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