田植えの時期になった。自宅の前の田んぼ(よその)では数日前に田起しをして昨日代掻きしたと思ったら、今日はもう植えている。こんなに早いものだったか。そろそろカエルの大合唱が聞ける。夜が楽しみ(?)だ。
あすの朝は金環日食の日だ。日食用メガネも準備した。全国的に晴れることを祈る。
アヘン戦争とはどんな戦争だったのか。アヘンを清国に持ち込もうとした英国と、それを拒否しようとした清国が争った戦争ぐらいにしか認識がなかった。それが実はそんな単純なものではなかった。
それまでの英国と清国の貿易は茶葉の大量輸入で英国の大きな輸入超過であった。その是正策として登場したのがインド(英領)産のアヘンである。清朝の退廃傾向につけこんでアヘンは清国内に急速に拡散していった。そして英・清間の貿易は瞬く間に逆転し英国の輸出超過に転じた。英国は清国の一般庶民の無知に付け込んでさらにアヘンを清国に売り込むのである。たまりかねた清国は欽差大臣に林則徐を任命しアヘンを一掃しようとする。当然アヘンを売り込みたい英国と対立し、とうとう戦火の火蓋が切られるのである。
この戦争を日本の高校の歴史教科書にはどんなことが書いてあるかというと、
「清国の変則的貿易形式を打破するために、イギリス商人のアヘンが焼き捨てられたのを口実にイギリスが宣戦布告をした。」
といった記述がみられるという。しかし真相はその正反対で、アヘン貿易を認めさせるのが戦争の主目的であって、変則的貿易形式打破のほうが口実に過ぎないという。イギリスの「愛国的」歴史家が主目的を捻じ曲げた。日本の教科書編者も知らずにその説を採りあげたのであろうが、これがはっきりさせなければならない重要なポイントだそうだ。
当時英国はいかに傲慢で非道であったか。�,泙宰念彑峪�解消策として麻薬であるアヘンを売りつけたことだ。東インド会社を通して、自国民にも売れないものを清国へ持ってきた。��屁理屈をつけて戦争を始めた。��(圧倒的武力を背景に)上陸した英国軍の主力は残虐の限りを尽くし、占領期間中、掠奪、淫虐にふけり続けた。英軍が突入した鎮江は淫掠地獄と化したという。
戦争そのものは最新装備の英軍を前に旧式の清軍は全く歯が立たなかったらしい。あわてた清国側は和議の対面を保つため林則徐を罷免したが、後任の大臣が卑屈なまでに譲歩を重ね、屈辱的な和議に同意せざるを得ず、1842年にあの軟禁条約が調印される。
英国はよく「紳士の国」といわれるが(大航海の時代を含めアヘン戦争までを俯瞰すると)どこが「紳士の国」かと思ってしまう。いかに傲慢なことか。とくに大航海の時代は掠奪の歴史である。その成果が大英博物館に大量に納められているではないか。
さて、そのあたりのことを英国の歴史教育ではどのように教えているのであろうか。一度詳しく聞いてみたいものだ。また為政者はどう思っているのだろうか。また、当時の麻薬の持ち込みや英兵による清国婦女子に対する凌辱行為について、英側が中国に対して謝罪したなどということは聞いたことがない。中国側にしても謝罪要求をしたということは聞かない。旧日本軍についてはあれほど熱くなる人たちなのに。いづれにしてもこのアヘン戦争はヨーロッパがアジアを土足で踏みつけた歴史であることを肝に銘じておかなければならない。
私は著者陳舜臣氏のファンであるが、氏は本書以前に小説「阿片戦争」を著しているということなので、今度はぜひそちらを読んでみたい。
まず出色なのは地図の豊富さである。新書という限られたページ数・面積にもかかわらず地図をふんだんに掲載している。中央アジアという我々日本人からすると若干なじみの薄い地域が対象であるだけに、その時代・時代に合った地図で説明してもらえると理解も深まるというものだ。また系図も多数掲載しており、複雑な血縁関係をわかりやすくしている。さらに写真版も適度に配置され、視覚による理解の手助けとなっている。
さて、いったい「中央アジア」とはどこなのだろう。「アジアの中央部」というその言葉通り明確に示すことの不可能な用語なのだそうだ。そこで本書では次のように定義している。
「東のゴビ砂漠、西のカスピ海、南のコペト・ダウ、ヒンドゥー・クシュ、崑崙の山々、そして北のアルタイ山脈とカザーフ高原に囲まれた横長の長方形の地域。」
この地域にはいかに多くの民族が勃興を繰り返してきたか初めて知った。いわゆるモンゴル族やウイグル族だけではなかった。草原の民がいて遊牧国家が発生した。オアシスの民はオアシス国家を形成した。国家間で交流が始まると商取引や抗争が起き始める。トルコ化が起きる。そしてイスラム化も始まる。あるときモンゴルが大帝国を支配し、やがて衰える。ロシア革命後、諸民族はそれぞれの共和国を足場に次々とソビエト連邦に組み込まれ社会主義国家の道を歩む。そしてソ連崩壊後、現在はそれぞれ独立し独自の路線を歩んでいる。
この本が書かれた時期は1977年でありソ連崩壊前なので、そこまでの言及がないのが残念である。その後の各共和国の歩みを著者はどんな眼差しで見ているのであろうか。