徒然なる日々。
DiaryINDEX|past|will
ちょっとした手違いで、昨日の日記を今日書いてしまったので、今日の日記を昨日の日付で書きます。
今日はちょっと真面目な話。 人によっては重いかもしれません。 危険を察知した人はすぐさまブラウザバック。 オッケイですか?
友人の叔父が亡くなったそうです。普段は取り乱さないお父様が、多少動揺した姿を見て、彼女自身ちょっと落ち込んだそうです。そんな折、リストカット癖のある友達がまたやったという連絡を受けて大変腹をたてた、という日記を読みました。そうはっきり書いてあったわけではないんですが、事情を本人の方から聞きまして、それをふまえて読んじゃったんですよね。
酷く哀しい文章で、生きたいと強く願っていた人が生きられない。狂言をくりかえし、死にたいと軽々しく言う人間が生きていると。
私はご存知の通り、大好きだった祖父を今年亡くしていますから、近しい人の死の悲しみというのは多少共感できる部分を、今は特に強く持てる気がしました。でも、私の周りに死を仄めかす馬鹿はありがたいことにいません。よく冗談で「死にそう」とか口にすることってありますよね。分かり合っている友人同士の冗談程度なら別に目くじら立てることもないと思うんですが、状況考えずそういうこという馬鹿私は大嫌いです。
ぶっちゃけて言うと、中学、高校時代、いわゆる思春期に自殺願望というものが私にも多少ありました。そのお年頃には結構多いですよね。死を美化して考える。今ここで終わってしまえば先に辛い思いをしないですむ。とか、妙に「死」を正当化して考えていた頃が。うーん若かったね(笑) 今思えばそれは別に本当に死にたいと思っていたわけではないっていうのがわかってますけど、当時はそれ相当に真剣に考えていたんですよ。当時の気持ちとしては…そうですね、多分今私がここで死んだらどれくらいの人が悲しむだろうか、とか。たとえ私がここで死んだとしても、世の中は変わりなく動くんだわ…とか。そんな期待とか、スネた気持ちとかのヒネた具現だったんだろうと思います。だからといって私は飛び降りようとフェンスよじ登るマネも、カッターの刃を手首に当てることも、紐を輪にして天井からぶら下げるマネもしませんでしたよ。自分のことを何度も妄想で殺しましたが、その中にいる自分ってとっても自分に都合いいものでした。悲劇のヒロインとか、そんな感じ。
当時の自分がどうだとか言うことではなくて、だから本当に自殺してしまうほど苦しい思いを抱えてしまってる人は気の毒だと思いますが、そうでない人。つまり最初に述べたリストカッターは、私は我慢ならないんですよ。死にそうなフリをしてまわりに見てもらいたいというその卑劣さが我慢ならないんです。
人の死って、本人も辛いかもしれないけど、周りだって大変です。死ねば絶対に誰かに迷惑が掛かります。まだそういうことの判らない「こども」が、そういうことに憧れるっていうのは仕方ないかもしれないけど、イイトシした中身だけ「こども」な馬鹿が、何も考えないで自分の快楽のため、愉楽のために、後先考えず、リストカットとか、自殺するフリするのが許せないんです。 自殺したいならしてもいいですよ、別に。止めやしません。死にたいと思うなら死ねばいい。でも、死ぬ気もないのに死にたいなんて言うのは、生きたいと願うのに生きられない人に対して失礼極まりないと思いませんか。そして、生きていて欲しいと思う周りの人間に対して。
はー…人の日記を読んでいたらつられてしまいましたね。もうちょっと冷静な感想かけるまでほっとけばよかったかなーってネタではありますよね。申し訳ない。
マサキ

|