徒然なる日々。
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| 2002年05月22日(水) |
堪らなく…堪らない。 |
居たたまれない気分になって、書いてます。別にへこんでるわけではないよ。いろいろやってて思ったこととか、感じたこと。
友達のサイトへ行ったら自分の名前の由来を日記に書いてて、いいなあ…と、思ったり。名前というのは自分を表す一種『記号』といえましょう。他人様に初めて会ったとき、必ずといっていいほどするのが自己紹介。それに付随してたまについてくるのが名前の由来です。別にそんなのでしないでも、小学校の頃とか、自分の名前の由来について作文とか無駄に書かされた記憶とか、結構ありますよね。 人それぞれいろいろ楽しいエピソード、ほのぼのとしたエピソード、ドラマティックなエピソードあることと思います。 名前というのは親が自分の子にこんな子になって欲しい、という願いが込められているわけですから、おまえそりゃ名前負けしてるじゃん。ってなひとがいたりすることもよくあるわけです。 例:兄は小さい頃、私以外の人間にはその頃から外面がよく、おっとりとしていておとなしいイメージの少年だった。ケンカをしても他人様を泣かすような子ではなかった。しかしそんな兄が唯一泣かしたことのある子の名前が『オオクマツヨシ』くんだったため、親は笑った。その子は『コネコヨワシ』だろうと。(ヒデエ) まあ、苗字は自分で選ぶことは基本的にできませんからしょうがないにしろ、名前くらいはいい名前だといいよね、ってことです。
私は小さい頃自分の名前が大嫌いでした。なんかもっとこう、かっこよくてスタイリッシュな名前を頂きたかったものだと常に憧れの名前を妄想し、もしそんな名前だったらどうなっていたかを夢想する日々でした。今思えばどれほど名前が変ろうとも、生活環境が変らない限り私は私でしかなく、今の私以外になりようもないんですが。とにかく私の中にある『かっこいい』『憧れ』の名前というものが、結構大きくなるまであったのです。多分…ハンドルである真崎藤生もその一部、どっからかきてるんだと思います。思春期を過ぎ、自分の名前もそこそこいいではないかと思えるようになった頃、どうして私はそれほどまでに自分の名前が嫌いになったかを考えたのです。 何かあるはずです。理由もなく嫌いであり続けるのも変な話なんですから。そう思い、記憶の糸を手繰っていった時、あるところで記憶が詰まりました。はて、中一の頃、国語の初めての授業で先生が出した宿題が『自分の名前の由来を調べてきて次回発表』というところで止まります。そう言えば、私は自分の名前の由来をよく知りません。特に同じ名前だったり漢字をもらった親戚がいたり、腹の大きかった母を間一髪で助けてくれた命の恩人がいたわけでも、何か意味のありそうな名前でもありません。代々受け継いできた何かがあるわけでも当然ありません。あるとすれば『子』の字くらいか。とにかく肝心の由来が思い出せず、この間なんともなしに親に聞いてみたのです。 「私ってなんでこんな名前なの?」 「え?なんとなく」 「…」 なるほど。自分の名前嫌いになるはずだ。なんとなくつけられたんじゃあな。 「響きがいいじゃない。風景として考えても綺麗でしょ?」 その後の親のフォローなど耳に入って来ません。
思い出しました。私が思春期の頃まで自分の名前がいやだったわけを。友人たちが発表していく『自分の名前は一体どのようなルーツでつけられたのか』という、楽しく、幸せで、ともすればアットホームな雰囲気さえ漂うはずの名前の付け方を説明するのに「なんとなく…響きが綺麗と親が思ったから」の一言で説明を終えねばならなかった私には、知らない間に大きなトラウマがあったようです。
ま、現在はもー別に何だっていいんですけどね。(さすがです。適当です。名前を体現しています)兄貴よりマシと思えばまた我慢もできるかも知れません。下に『テル』が付いて、違和感のない名前を必死で探してつけたって言っていたし。でも、名前の漢字に人となりを希望するような漢字を使用されている分負けた感は拭えないけどね…。珍しい名前付けられて羨ましいわ。チッ!←本音。
本当は、あとバン○ン時代の講師の気持ち悪さを久しぶりにここでぶちまけてやろうとか、最近手に入れたステキ物のこととか書こうと思ったんですが、名前エピソードに行取られすぎたので、またの機会に。はははは。なんと計画性のない…。
マサキ

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