徒然なる日々。
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2002年02月26日(火) おひさ〜…。

どうもどうも、長いことHPに来れなくてすみませんでした。
事情をご存知の方、ご存じない方それぞれかと思われますが、事情を説明させていただきますね。

えーと、入院とかしてました…。あははん、まーたやっちゃったの…(涙)

13日深夜、前々日から妙に胃が痛いなあ…なんか気持ち悪いし、そろそろ寝たほうがいいかな…と思って床に付きました。
しかし14日、バレンタインの日付変更線を超えた途端、激しい吐き気と腹痛に襲われ、私はトイレに駆け込みました。

それからはもう地獄絵図。

約4時間半、症状がいつか治まると信じてトイレと部屋の往復する事数十回。そのうちただのトイレの住人と化し(動けなくなったともいう)、体内にあるものを根こそぎ吐き出しておりました。
5時前、母親に発見され私の状態をみた母は、慌てて父親をたたき起こし近所の総合病院の救急センターへ搬送。真っ暗で誰もいない病院ってドラマ以外で始めてみたヨ…(余裕あんじゃねーか)。

寝ぼけ眼の当直医に大変ゾンザイな診察を受け、とりあえず吐きすぎて脱水起してるので点滴を打つといって右腕にぶっすりと針をさされ、血液検査するといってぶすりと(やっぱり右腕)注射で血を抜かれ…。そのまま病院のかたーいベット(っていうか診察台)の上でぐったりと気を失うように睡眠薬で眠りに付きました。
目が覚めると9時過ぎ。たらい回しツアー開始。消化器科のベットに運ばれ点滴の終わるまでほって置かれる。終わった途端、血液検査の結果を聞かされる。
大変不愉快になる。
ある値が大変低いので、もう一度血液検査をすることになる。本日二回目の血液検査。血液を採取するためだけのセンターへ行かされ、約30分も掛かって血を抜いてもらう。そしてやっぱり右腕。私の腕は血管が見えにくく、右腕のひじの内側あたりしか血管が浮いていないので、ソコに集中砲火を浴びることになる。

具合悪いのは治らない。結局吐き続け。帰ったあと、もらった薬を飲むが効かない。数時間後、病院の医者から電話があり。
『先ほど渡したものよりこちらの方がいいので薬局の人間に届けさせます〜。』
テメエ!薬間違えてだしやがったなあああああああ!

届けられた薬を飲む。が、結局効かず、病院へ舞い戻る。その頃には精も根も尽き果てておりました。
そして本日最後の注射、ブスコパンを筋肉注射(※大変痛いとされる注射)される。そして右腕…。
そのままばったり。

それから2日経っても…3日経っても、具合が悪いのは治りませんでした。物を食えないまま5日が過ぎ、とうとう水をも受け付けられなくなった頃、いつも行っている医者へ行く。
薬をもらい、帰ってくる。薬を飲んだ途端、急に元気になる。約半日ぶりに液体を口にする。吐かない!スバラシイ!

それからは目に見えて元気になっていきました。しかしやっぱりしばらくは物が食べられず、物をちゃんと食べたのは倒れてから一週間後。ちゃんとした食事ができるようになったのは9日後のことでございました。

ほとんど起きられず、ネットなんかできる状態ではなかったのでアレだったんですが、この間やろうと思ってたのに出来なかった事に対するストレスから嫌な夢みまくり。泣きながら目を覚ます事も多々ありました。
本当に…洋画ホラーの夢なんかも見た…怖かった…(ぶるぶる)

でも現在はもうすっかり元気です。今回の病気で学んだのは、総合病院は信用ならねぇということでした。勿論病院にもよるんでしょうが、私は総合病院に対する不信感が高まっただけでした。そして右腕の痛みもおまけにもらったのです。

もうちょっとの間、毎日ここに来るのは無理かもだけど、でも徐々に復活しますよ。どうもご心配おかけしました。(ぺこり)


マサキ