猪面冠者日記
今さらだが当分不定期更新

2016年01月10日(日) 下呂高山へ行ったついでに「沈黙」再読

 母の急な思いたちで母と一緒に下呂・高山へ行ってきた(ちなみに今夜の夕食から父も合流)。行きと帰りはワイドビューひだで。昔は家族でよく行った下呂だけど、ここんとこご無沙汰。それでも行っていないのは一、二年かな。

 ただこの時期下呂で心配なのは雪。十年近く前かな、コピー本の新刊持ってく予定のインテの前に家族と下呂行って、インテがあるからと私だけ早く帰ってきた時帰りの電車が雪で止まっちゃって、帰ったのが翌朝早朝だったという悪夢のようなこともあったし。今回も行くと決めた時、とにかく雪が心配だったんだけど、杞憂だったね。名古屋はもちろん岐阜も全っ然寒くない。車窓の景色からして、山が全然雪を被っていないし、とにかく当分雪が降る気がしない(スキー場は各地瀕死とか)。

 下呂の町そのものも、家族で行く時に使っている某旅館もそうなんだが、数年前に来た時よりアジアからの観光客が多いこと。下呂温泉は、バブル崩壊と、さらに高山に温泉が湧くようになってから寂れたからねえ。とにかく賑わってくれて何より。

 お部屋でくつろぎ、温泉に入り、おいしいもん食べて、実に気ままに過ごす。そして今日は新しい大河ドラマ「真田丸」の第一回。お部屋のテレビで18時スタートのBS放送を見る。あれ、なんだろう。なんか面白い。三谷ということでハナから絶望しかかっていたんだが。まあところどころ私の嫌いな三谷の臭みがあるんだけど、概ねすごくちゃんとした大河だ。しばらくは普通に楽しく見られるのかも。

 ここの旅館はもう十年以上前から夕食の部屋食を廃止して、専用の食堂で利用客がとる仕組みになっている。旅館の食事というととにかく多すぎて食べきれないのが常だけれど、今はほどよい量になってしかもおいしいんだからありがたい。

 ちなみに旅のついでに今再読中の「沈黙」を持ってきて電車の中や、部屋でぐでっとしている時なんぞに読んでいる。こんな楽しいところまで来てこんな陰惨なものを読まなくても、とは思うが。

 再読とはいえ弾圧の描写はやはり凄まじい。遠藤周作の作品には本当にひどい人間がいっぱい出てくるんだけど、それを描く温度はどこまでも冷たく乾いている。世の中の悪を発見して浮かれる厨二気分なんぞ、かけらもない。この「身も蓋もない」という具合がキリスト教そのものを描く際にも徹底している。信仰も奇跡も、殉教の美学も、一宗教集団の長い歴史の中で、本来は身も蓋もない虐殺でしかなかった殉教が、いつしか神話と化していったのだと結論づけている。

 ロドリゴは最後に「神」を見るけれど、当時の日本というものでは信仰は呪いでしかなく、むしろあれは終わりなき十字架に釘を打たれた瞬間だ、と思う。

 夜のお風呂は展望台風呂。翌朝も露天風呂に入り、大いに満喫。11日は高山をぶらぶらし、ワイドビュー飛騨で帰った。二日とも本当にコート不要だった。おそろしや。



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