nomiの思考

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失言に対する責任は問うべきか
2008年06月12日(木)

失言に対する責任は問うべきか?


少し、立ち止まって考えてみたい。

去年の2月頃にニュースで話題になった、柳沢厚生労働大臣による「女性は子供を産む機械」発言。記憶に残っている人も多いのでは?

言っても良い、言ってはいけないの区別を付けられない官僚は辞任すべき。野党の女性議員と同じ意見で、厚生労働大臣として立場を弁えない発言をしてしまったことを反省し、辞任をして出直すが良いと思った。


なぜ、柳沢議員が女性軽視の発言をしたのか。


それは‘デリカシーの欠如’以外の何ものでもない。女性に対する想像力や基本的な認識が甘い証拠。家庭を顧みないタイプだということは容易に想像できる。

内政大臣として、男として失格だ。(言いすぎ?)


では、人としてはどうなのか?


失言は誰にでもあるのだから、必要以上に攻めることもない。 私はそう思う。

言葉のナイフを使って平気で人を切りつける失言者に、同じ言葉のナイフで切り返してもたくさんの血が流れるだけ。

そこに何も生まれない。

駄目なものは駄目と、主張することは大切。
でも、攻め方を間違えてはいけないのだ。

話を最初に戻すと、
失言に対する責任は、もしかしたら特別な場合を除いては厳しく問うべきではないのかも知れない。


あなたは、どれだけ人に許されたい?


それと同じように、相手を許すことが大切。
そんなことを考える深夜零時。










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