ドロマミレース!
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| 2005年05月13日(金) |
今まつげが大量に抜けた。 |
かゆいよー目が痒い…
人間生きてるということをマジで実感しちゃう機会って実はあんまり無かったりしますよね。私は昔は買い込んだ同人誌を家でジャージ着てポテトチップ(新味)を喰らいながら読むときなんても〜超生きてる感があったんですけど、最近は全然漫画自体読んでなくてね…分からないプログラムをいじくりまわしてさらに分からなくなってる自分しか思い出せないような状態が一月ほど続いてるいたので、自分が生きているのか死んでいるのか、考えてるのか考えてないのかもあまり理解できてないような、不透明な状況だったわけです。 しかし、今日不測の事態により3時間ほど夜のまんが喫茶でいばらの王やふたりえっちを読んでいたら(ふたりえっちに関してのお問い合わせは受け付けかねます。)、あれ?なんか、あれ? 私今集中してない…? ということにふと気付きました。そして一巻を読み進めるたびに加速する気持ちに(ふたりえっちはちなみに3巻でやめましたので、残念なことにあまり加速できなかったようです。それよりめがねっこのカスミの方が重要。そしてムショ前のマルコたんな!)、生きてる瞬間というものを再認識しました。 日記や飲みの席で死にたい死にたいを連呼することに私の意義って結構ネタとして確立してたと思うんですけど(ひどい確立の仕方だな)、 ここにきて死ねないと思いました。 なぜなら日本にはまんががあるから。
こんばんわ、寧波です。前述のように、めがねっこによって生き返ることを許されたといった感です。 めがねっこは偉大だよ…ほんと偉大だよ…。そしてふたりえっちはあんな間違った性教育を行っていいのだろうか…保体の先生から怒られたりしないのかな…どうでもいいけど…。 最も有効な罰ゲームは、あれをまんきつで山積みにして読むことだと思う。 自発的にやってしまった私はどこに帰れb 真田や渋沢に実装してみるのもいいよね!
毎日おきる⇒会社⇒めし⇒ふろ⇒ねるのPDCAサイクルのようなものに則って行動してるわけですが、生きる楽しみは見つけていきたいよね。というお話だったのさ…。 明日はチンカルさんととしまえん庭の湯に行ってくる…。
まみぽさんとこで公開されてる三渋についてのコメントをちらほら頂くんですけど、私みしぶって描いたことなかったけ…と思う前に三上自体が珍しいからなんか言って頂けるんだなあ、と思うと、三上の威力にびびるばかりです。 みなさんみかみがすきなんですね…ふふふ…。
みんなでうつをかいひするほうほうをかんがえよう!
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