善意は人為的なものでなく、


2004年06月08日(火)
自然と起きるものだと、個人的には思う。
そんな事を思った、今日のとある出来事。
それは、図書館の帰りにバスに乗っていた時の話。

座席は全部埋まってて、自分含め3、4人が立っている状態。
やがて一つのバス停で、70代くらいと思しきおばあさんが乗ってきた。
買い物用のカートを先にのせて、運転手さんにパスを見せた後、
通路にきたのだけど、大げさに首を左右に向けて、空いた席を探している。
すると、50代くらいのおばさんが「次で降りますから」と、席を譲った。
おばあさんは「ありがとうございます」と言って、当たり前のように座った。

これを見ていて心中は複雑だった。
おばあさんの一連の仕草は、正直言って意図的に見えるものだった。


お年寄りに席を譲るべき…というのは、誰でも分かる。
それを「逆手に」というと語弊があるかもしれないけど、
お年寄りが座っている人から席を譲ってもらうよう振舞って、
席に座っている健常者に「善意を起こさせる」のは、どうだろう。
善意は人為的なものではない気がするのだが。

勿論、傍目には判断が難しい。
今日、自分が見たのだって違うかもしれない。
それが分かっていてもやっぱり、
心のどこかで腑に落ちない部分が残っている。


…と、ここまで書いて、思いだした事があった。
新聞だったか、テレビだったか、読ませて頂いている日記だったか、
ちょっと記憶が曖昧なのだけど(日記だったら、書かれていた方、スミマセンです…)、
「主張する弱者」というのは、反感を買う。という話。

拉致被害者家族会が先日の小泉首相の訪朝成果を、不十分との非難した事に、
その反応を批判するメールが大量に届いたという、あの構図。
今日のこの日記も似たようなことになっている気がする。

……それでも、「席を譲ってくれ」って素振りを見せるのは、
やっぱりどこか、筋違いじゃないかなぁ。
こんなことしたら、席を譲る側だって「本当に?」と疑う事態になりかねず、
しまいには、自分から席を譲ってくれる人が誰もいなくなりかねない。。。


今日のこの日記を書くにあたって、
お風呂の中で何とか話をまとめようと考えたけど、
やっぱりまとまらなかった。

おぼろげにわかるのは、世の中、どこか歪んでいるという事くらい。


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今日は昨日と似た感じで、
家を出たときは晴→図書館行く途中で雨→帰りはまた晴。
明日は「雨のち曇」との予報だけど、
昨日、今日と見る限りそんな単純なもので終りそうもない気がする…

BGM : サイレント・イヴ / 辛島美登里♪



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