惜春別日乗
DiaryINDEXYesterdayNextDay


2005年07月11日(月) 愛すること、を思う

すっかり日記は疎かになっている。ADHDのブログとしてカレイドスコープの方を位置づけたのと、ものを書くネタが浮かんでこないのと、ある。寂しがり屋が最近はとても表面に現れやすいので、恋愛体質になっていて書くことがそのことばかりになってしまいそう、という恐れもある。

紆余曲折し、前に書いていた人とは結局うまくいかなくなって、今はその人に対する気持ちは冷め切ってしまっている。この人のこころの曲がりを私と関わることで少しでも和らげ、人らしいこころを取り戻して欲しいと思っていたのだが、やはりそこは難しいらしく全く効果がなかっただけでなく、私が一番嫌いな「何でも金のことに話しを絡めて評価をする」という面が顔を出したため、すっかり情熱は冷めてしまったのである。やはり絶対的信念が歪んだまま歳を重ねてしまった人は、もう変わりようがないのだろう。気の毒とは思うけど、私はもう関わることはやめようと思う。

そうこうしている間に、とても気が合い魅力的で、気にかけているというアクションをくれる人と付き合いを深めることになった。最初の頃は言葉だけなら信じるまい、と警戒したりして固くなっていたのだが、そういう私の迷走する言葉をも誤解したりして強くとらずに、優しい言葉をかけてくれていることに、少しずつこころが和らいできている。なかなか男性の言う言葉を全て信頼する気持ちにはなれないが・・・少しは信じてみようか、という気持ちにもなってきている。よく考えれば、「あなたが全て」という考え方でする”恋愛”は依存的で続かないものかもしれない。自分の時間も充実させ、互いの生活を尊重し、それでいて互いを気にかけ思いやる関係、穏やかに寄りそうそういう”恋”の方が、本来なのかなと最近感じだしている。

相手を「異なるもの」として認め、違いを尊重しつつ自ら変化して行くもの・・・それが愛である、という哲学者の言葉を知ったとき、私は雷にうたれたように自分の価値観をまた一つ書き換えることになったのだ。相手を自分と同一視しがちなものだけれど、そこをしっかりと「相手は自分自身とは違う」という意識を持つこと。それはなかなか難しいことだけど、やってできないことではない。何故か?哲学者もまた人であるからだ。そして、その異なるもの、がどうしても自分のこころと共鳴できない場合は、自ら去ろうと思う。互いに傷つけ合う前に。感謝の気持ちを持てる間に・・・。

寂しさは未だに隣にある。しかしこころ奪われてしまうことなく、共に生きようと思う。一人の時間、元々嫌いではないのだしもっと充実させることができれば、寂しさもまた創作のエネルギーに変えることができるだろう。


マイエンピツに追加

My追加
透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow