Sotto voce
DiaryINDEXpastwill


2012年08月13日(月) 携帯電話。

知っている人は知っているが、
父親の入院治療費その他諸々から来る多額の出費に、
携帯電話代すら払えなくなって数ヶ月。

ここ数ヶ月は誰かと待ち合わせして出かける、
ということがほぼ皆無に近く、
外出中に職場から電話が来ることもほとんどなく、
やっと「携帯電話のない不便さ」も苦にならなくなってきたが、
どうにか新たに再契約できそうな運びとなり。

じゃあこの際だから、とアドレス帖の整理をしていたら、
ひとつのグループの中のデータを消すはずが、
アドレス帳データ全消去。

携帯自体は解約になっているので、
携帯会社のサーバー?にバックアップされてる
最新データは当然拾えるはずもなく。

幸い、microSDの中に2年前のデータが残ってたので
大部分のデータはそこから復活。

職場関連は職場に行けば現在のデータが拾えるのでいいけれど
プライベートの交友関係のデータが、
正しいのかそうじゃないのかわからず。

が、それも、携帯会社の過去の携帯受信メールを
PC上に残せるサービスに加入してたおかげで
約3年分の受信メールを遡って、
手打ちで打ち込んでほぼ復活完了。

それにしても携帯を持つようになってからの10年。
給料日前の数日間止まることはあっても、
これだけ長く携帯を持たない日々はなかった。

最初の1ヶ月は本当に不安だった。
その当時は父の体調が本調子でなかったこともあり
いつまた再入院するか、
そのことで呼び出しが来るか、
外に出ていて気が気じゃなかった。

さすがに2ヶ月、3ヶ月過ぎると
家に帰れば、リアルタイムではないものの
SNS等のメールや、自宅電話で相手との意思疎通を図るのにも慣れた。
何しろ、外に出ていて電話を気にしなくていい。

正直、外にいて
「出たくないなあ」と思う電話が来ることもある。
それをまったく気にしないでいいのだから。

人は携帯を持つようになって
他人と短時間で連絡をとる手段ができて
たとえば連絡の行き違いなども容易に解決できるようになったけれど、
それが当たり前になって、
ちょっと連絡が取れないと不安になったりして、
携帯電話という手段に縛られてしまってるのではないかと思えてならない。


安積 紗月 |MAILHomePage

My追加