食物日記
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2011年09月29日(木) 晴れ

6時半起床。また寝て9時起床。チョコレートラスク、マドレーヌ、コーヒー。写真のセレクト作業。1時大手町で星野さんとミーティング後、新丸ビルの上のチャイニーズレストランで五目焼きそば、お味噌汁、コーヒーと抹茶ロールケーキ。占いも。シティバンクに寄って表参道。コリント立ち寄って渋谷から池袋。カフェでレモンソーダ。写真のセレクト続き。7時半あうるすぽっと「家電のように解り合えない」公演。岡田利規、森山開次、金氏徹平。その後岡田さんと飴屋さんのトーク。解り合えないことを論理的に技術的に消去法で解決を試みても結局は感情。そういう方法しかないと思うし、あの場でもその結論だけは共有されたと思う。信頼できると思った。女優ふたりともとても好ましく、衣装も良く、森山開次は動きだけじゃなくて声も美しい。怒る、けんかする、などの感情は、誤解を解きたい、仲良くなりたいという感情故に起こるのだから、その感情がなければ、けんかなんて起こらない。けんかするほど仲が良い、とベタな言い方するけど、仲良くなりたいというモチベーションが無ければけんかすらしたいと思わない、ということ。アフタートーク中、飴屋さん「この作品はいつにもまして謙虚、想像することは、不可能なことを超えようとすることで、それ自体が畏怖。その畏怖がある」というようなこと言ってた。岡田さんは「観客をとても意識するようになった、これからも客電をつけたままの演出を使うかもしれない」と。岡田さん「観客を意識するということは観客を意識しないということなんですよ」 特定の観客を意識しないということで、より大きな観客、ここにはいないひとたち、まだうまれてきていないひとたちまでも含めて、意識するということになる。新潮の岡田・飴屋往復書簡では「神様」のようなものにむけて、と書かれていた。そのこと、本当は質問してみたかったけど恥ずかしかったのでやめた。トークの間「想像への畏怖」ってなんだかよく分からないなあ、と思っていた。わたし実感したこと無いから。いきなり共感してしまう性質だからなのだろう。共感自体が飛躍であり、簡単に飛躍したつもりになる。そして振り返って反省しない。写真を撮るというのはその場限りの共感行為なんだろう。だから振り返らずにやってられる部分はあるのだろう。「畏怖」「謙虚」からしか生まれない「飛躍」もあります。それが多分岡田さんと飴屋さんの通低音。ねじまき鳥にも海辺のカフカにも出てくるんだっけ、「責任は想像の中から始まる」という一節を思い出した。湯島のBar道で生ビール。パクチーポテトサラダと赤ワイン、ハヤシライス。


宇壽山貴久子 |MAILHomePage