食物日記
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2007年05月05日(土) 晴れ

11時起床。コーヒー(ミルク無し)、バター+ピーチジャムトースト。シャワーを浴びてスタジオへ。ルーターのセットアップなど。フルーツヨーグルト、コーヒー、カレーヌードルを食べて5時には出て、チェルシーへ。急いでギャラリーをまわる。james cohanにてbill viola。水中ダイブを逆さに映した神々しい映像作品。mary booneにてfrancesco clemente。初めてきちんと作品をみる。少女漫画の瞳の奇形たち。gladstoneにてnick z and kai althoffのインスタレーション。作りかけの、あるいは壊しかけの子供部屋のよう。シャッターも下ろして薄暗いギャラリーに敷き詰められた汚いカーペットや部屋の残骸。長年誰も住んでいない家のような匂いがした。kai kai kikiの笠原さんに偶然会う。yossi miloにてkelli konnellの写真。double lifeと題された写真はネガをスキャンしてデジタル処理し同一モデルが一人二役を演じる。matthew marksのブランチにてandreas gurskyのF1コックピット作品だけ4枚、違うチームのピットイン風景を同じアングルから撮影した写真を並べていた。このシリーズはやはりおもしろい。にやにやしてしまう。pace wildensteinにてjim dineのピノキオ。木を荒く削って仕上げたディズニーに登場するのと同じ形の大きなピノキオたちが様々な意味深なポーズをとる。のこぎりを手にしているピノキオなど、かなりダーク。会場に入った瞬間に笑ってしまった。d'amelio terrasにてsam samoreの写真作品。映画のシーンを近距離で部分切り取ったパノラマ巨大モノクロ写真。スタイリッシュではある。この辺で6時過ぎる。バスと電車でユニオンスクエアまで。whole foodsで食材たくさん買って帰宅したらせいこさんからメッセージが入っていたので家で一緒にごはんすることに。ロゼのおいしいワインcommanderie de peyrassol 2006 cotes de provenceをいただく。st andre、バゲット、梨、マスカット、ローズマリー入りクラッカー、サラダ(芽ブロッコリ、mix green、アボカド、ゆで卵、トマト、オニオンバルサミコドレッシング)、チキンウィングのハーブ焼き。12時頃GION戻り、一緒にプロフェッショナル盲導犬と吉田都さんの回を見る。バレエを見たくなる。2時頃まで。

宮沢章夫の日記が良かったのでそのままクリップ。
『土本さんの「水俣」に関連する作品を観ていると、なぜそれがそんなに美しい映像を生み出してしまうのかということも考えていた。もちろんキャメラマンが優秀だったこともあるだろう。けれど、ある胎児性患者(つまり母親のお腹にいるときに罹病した者)の少女が、海岸のすぐそばにある土地で医師に語りかける場面の美しさは、もっと異なることによって観る者の意識に語りかけてくるからこそ、美しくなってしまう。少女は医師に、「頭を手術してほしい」と訴える。もちろんそんなことが不可能なことはわかっていて医師は応えに窮する。少女がそう考えたのは、たとえば、すぐそばにある海を見ても、あるいは花を見ても、なにも感じないからだという。あるいは学校に行くと、友だちは日々、変化しているのに、自分はなにも変わらないからだとも言う。この時点で、かなり知的な活動を彼女の意識はしている。むしろ、健康体の者よりずっと、自分の感覚や気持ちの動きということについて深く見つめているのがわかる。そこで映像を見ている者は、「美しい」とはなにか、なにがそうした意識を生み出すかについてあらためて考えざるをえない。そして観る者を試すようにカメラはゆっくりパンをして、その向こうに海の見える防波堤を映す。防波堤にはまたべつの子どもの姿がある。とてもきれいだと思わずにいられない。「美」の基準はきわめて曖昧で主観的なものだろう。だが、そのことをあらためて問い直すことを日常的に人は忘れる。自分の意識がどう動いて、なにを、どう見つめ、それを美しいと感じているのか、はっきり考えてはいない。あの少女はちがった。自分が病気であることを知っているからこそ、自分の意識の動きについて考えている。海を見てもなにも感じないことを嘆き、だからこそ、医師に話しているうちに泣き出した。』


宇壽山貴久子 |MAILHomePage