食物日記
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2005年08月15日(月) 曇天 降りそうで降らない

お昼起床。タコ入り高菜チャーハンとコーヒー。イーストビレッジのblack houndでクッキーとチョコがけアーモンドなどの詰め合わせを購入、となりのUPSで箱と発泡スチロールのコーンを買い、バスでスタジオ。3つに分けて手紙とともに詰め、郵便局へ出しに行く。bedfordへ。ベーグル屋でtoasted sesame bagel with white fish on the sideとグレープフルーツジュースを半分ずつ。その後ジム。今日は混んでいる上にエアコンが弱く、むっとする中でクロストレーナーと腹筋と筋トレなど。歩いて帰宅、セサミと散歩。3夜続けてBarcade。月曜の夜だからひともまばら。アップルサイダーを飲む。このバーの、無駄に広い空間とオールドスクールのテレビゲームのセンチメンタルな並び方と人を放っておいてくれるゆるさがだんだん好きになる。帰宅してごはん。カレーの残り+目玉焼き、トマト+バジル+EVオリーブオイル+塩こしょう、オクラ+おかかしょうゆ。食後にTullamore Dewのロック。
終戦記念日ということで、戦争と平和について今朝ふとおもった。日本近代の戦争の歴史はだいたい30年周期だったということ。明治維新の西南戦争→日清戦争&日露戦争→日中戦争&太平洋戦争。なぜ30年周期なのか。思うに、30年経つと戦争を語る人が死に絶えたからだろう。昔の人々は寿命が短かかった。戦後30年で戦争を語り継ぐ人がいなくなった。語る人がいなくなれば、また過ちを犯す人が出てきやすくなる。
そして今年は戦後60周年、30年の2倍の月日がたった。戦後飛躍的に平均寿命が延びたので、第二次世界大戦経験者はまだ大分生きており、わたしたちはそのひとたちの話を直接聞く事ができる。これは幸いだ。でもやはり徐々に、好戦的な指導者に煽られた好戦的な若者は不穏にその数を増やしている。戦争を知らない人ほど戦争を好み、戦争に行かなくてもOKな身分の人こそ最も戦争をやりたがるというのは、太古から変わらない事実だし、忌野清志郎は最初からそう歌っている。
戦争から時が経てば経つ程、声高に平和を語った方がいい。遠慮せず、うるさくしつこいほどに。なぜなら、歴史が物語るように、平和への願いなんて時の風化を免れ得ないし、好戦的な人々の罵声によってあっというまにかき消されてしまうから。老人の語りに耳を傾け、それを伝えて行くことが、あたりまえの大切なことだ。


宇壽山貴久子 |MAILHomePage