オモフトコロアリ。
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2007年02月06日(火) お引越し。 

http://www5.diary.ne.jp/user/529329/


そのうちここもまた何かに再利用しますが、
とりあえずはこちらに。

2006年03月23日(木) 査定方法。 

うちの会社は新しい人事査定方法を取り入れたらしい。
本日、その内容を説明されてきたのだが、口がアングリ。
前々から噂にはなっていた悪法が導入されていたのである。
それは企画書の提案枚数による評価。なんと査定の2割を占めている。

チョット待て。管理関係の部門にどんな企画をだせと?

正直言って納得がいかない部分である。
管理部門の提案は、わざわざ企画を回すまでもなく、
決定事項または必要事項であることが多いのである。
現場作業を担当する部門も企画を回すような仕事はない。
企画を作っている暇があれば作業をこなさねばならぬのだから。
この評定が有利になるのは2部門、不利になるのは3部門。
有利になる2部門はごますり社員が多い部門と、社長の直轄部門である。
ちょっとふざけてないかい?

その上、社長による特別評定が最大2割上乗せがあるという。
ストックオプション設定権も社長に寄越せとか何とか言っていたらしいし。
そんなに気に入りの社員を贔屓したいのかと。
しかもあんたの気に入りはゴマすりの才能がある奴だけぢゃん!
これでは査定を聴いた直後に有休の残り日数を尋ねてくる人が増える訳だ。

企画書まわしちゃうぞ。クーデター企画書をこっそりと、株主に…。

2006年03月14日(火) さよならANNIN。 

私はモノに愛着を抱く方である。
元来がケチなので、気に入ったものを長く使いたいのである。
大概においてこの日に買い換えると決めて、
それまでの間は今まで以上に愛情こめてモノを扱うのが常だ。

それが金曜の晩に急にそうも行かない事態が起きた。
飲んで疲れて半ば眠りかけた私の耳に、夫の驚いた声が聴こえたのだ。
すまなそうに夫が差し出したそれは、私の携帯。
驚いて手に取ると、スリムなストレートスタイルが仇になって、
本体は歪み、液晶の上半分が完全に死んでしまっていた。
通話は出来るのだが、メールは全く読むことが出来ない状態である。
このままにしておく訳にもいかないので、急遽買い換えることになった。

しかし携帯が壊れてしまったことは、思った以上に衝撃だった。
何せ発売直後に一目惚れで買った携帯である。
2年近く使っていて、そのデザインに飽きたことはなかった。
機能的には細かくアレコレ不満もあったけれども、
それを補って余りある愛着があったのに。返す返すも残念である。

本当は5月まで使うつもりであった。
今期のモデルは余り気に入ったのがなかったので、
夏モデルも見てから買い換える予定だった。
出たばかりなので高いし、23ヶ月目だからやはり高いし、
予定外の出費に頭を抱える羽目にもなった。
そんな状態で買った機種に愛着をもてるかなぁ。
これで夏モデルに気に入ったのが出たらがっくりかも…。

追記:急な出費で美容院にかける予算までが削れてしまった。orz

2006年03月07日(火) 経費えれじー。 

毎月、社員が利用した経費の申請を受け付けている。
長いことやっていると、申請書から人格が見えてくる。
常に細かく間違いが多いチョットどじな人やら、
面倒くさがって余り出してこない人やら、
項目ごとに綺麗に計算してある生真面目な人やら。
その辺はまだいいのだが、問題のあるのもいる。
会社の金は使うためにあると言わんばかりの連中である。

今まで結構我慢してきたのだが、今月はついにキレた。経費却下の嵐である。

●「携帯でエキスパート使いました」
 →出て行く前に調べていって下さい。
●「セミナーに出席して、出席社員で食事しました」
 →セミナーに出なくても食事はします。しかも高い店で食うな。
  (場所が4年も通ったところなのでバレバレ)
●「手帳買いました」
 →自分のものは自分で買って下さい。
●「社員に差し入れしました」
 →差し入れの意味がわかってねーだろ。
●「取引先とお茶しました」
 →頼んでるのが一人分ぢゃねーか。
●「飲んで終電に乗り遅れたのでタクシーで帰りました」
●「降りる駅を寝過ごしたのでタクシーで帰りました」
 →ふざけるのも大概にしろよ。(#゚Д゚)ゴルァ!!

ってな感じで切れた訳なのだが、もう馬鹿かと。
毎回私的流用が多い社員に明細を求めたら、文句と不満で非難轟々。
後ろ暗いトコがないなら、明細くらいだせるだろが!
と、そんな感じで疲労困憊である。
こいつら全部辞めたら、私がどれくらい楽になることか。
JALばりにクーデターでも起こしたい今日この頃。

2006年03月03日(金) 平均残業時間。 

本日は公認会計士来訪日。
我が社は金がないので、会計ソフトが1ライセンスしかない。
当然ながら、1人が使っていれば他の人は使えない計算になる。
上司が会計ソフトを見ながらウンウン言っている間の短い時間に、
ちょっとだけ自分の残業時間を調べてみた。
うちの会社、タイムカードはあるものの、どうせ残業代は付かないので、
今までチェックしていなかったのである。

先月の残業時間は50時間を軽く越え、その前の月は40時間越え。
出勤日数で平均すると、1日辺り約2時間45分の残業。
そこだけ聴くと大したことないような気もしないではないが、
それはそれで間違っているような気もするのである。
これで残業代を換算すると…月辺り13万近くになるのか!?
ま、毎月給与額の半分近くをタダで残業してるのか…。orz

余りにもがっくりしたので、それ以降やる気がゴッソリ削げ落ちている。
やれやれ。

2006年03月01日(水) 風邪ひきっぱなし。 

1月の末に風邪を引いた。仕事中に熱が上がっていくのが解り、
家に帰ったら40℃近くの高熱。さすがに翌日は休みを取った。
明けて2月に入り、熱は薬で抑えながら年次決算作業に突入した。
余りの忙しさに、その後17日間は土日も含め休みなく出勤、連日の残業。
残業が明ければ結婚記念日で、近場とはいえ1泊旅行。

そんな無理を利かせたのが祟ったのか、一向に咳が収まらない。
もう1ヶ月になるというのに、まだ体調が回復してくれないのである。
咳の方は風邪を通り越して気管支炎になったのだと思うのだが、
咳が続くのは痛くて苦しいものだ。
これで痩せでもするなら我慢のし甲斐もあるが、その兆候もなし。
ずーっとゲホゴホやっている。特に温度の変化があるとしばらく咳が止まらない。

こまったなー。また無理しないといけないのにな。
病院に行こうにも、今週末もまた出勤の予定なんだが…。
咳に効く食べ物や飲み物なんてものはなかろうか?

2006年02月27日(月) オリンピック閉幕。 

冬季五輪が閉幕した。
日本では夏季に比べて盛り上がりにかける気がするのだが、
個人的には冬季種目の方が好きだったりする。
一番好きだったのはフィギュアスケートだ。
毎年シーズンを楽しみにして、国際大会が中継されれば必ず見ていたものだ。

それがここしばらくは全く見なくなってしまった。
「フィギュアはコスチュームがやらしい」と言うのが身近に居るせいもあるのだが、
一番の要因はジャッジの不透明さだ。

私には忘れられない選手が2人居る。
1人は中国の陳露選手。手足が長くリンク栄えする美しい身体と、
それにふさわしい優美さ、しなやかさを表現するのが得意な選手だった。
カタリーナ・ビット以来20年以上も(!)フィギュアを見ているのだが、
表現の麗しさで陳露に勝る選手は未だに出ていない気がする。

もう1人がフランスのスルヤ・ボナリー選手である。
名前を聴いても判らないかもしれないが、
判定に抗議してメダルを拒んだ黒人選手といえば判る人が多いだろう。
長野で競技上は反則であるバックフリップを決め、
競技から降りてしまった選手でもある。
すばらしい身体能力と抜群の技術力を持ち、
当時練習ではあるが女子としては初めて4回転を決めた選手だ。
もっともその記録はスケート協会に公認されず、
公式には安藤美姫が初の4回転ジャンプ成功選手とされている。

:ちなみに別に安藤の記録を貶めるつもりではない。
 彼女のジャンプの方が難易度も高い上に、
 競技会で成功という実績は素晴らしいと思っている。年の為。

で、ボナリーである。
彼女の演技には表現力が足りないとか、バネだけで飛んでいるだとか、
当時からかなり評がからかったのは覚えている。
しかし、では「表現」とは何だ。と、私は思う。
あの力を集約したジャンプが、それを支える高い技術が「表現」でないのだとしたら、
フィギュアにおける「表現」とは何なのだろう。
「美しさ」や「情感」は確かに表現されるもの一つだろう。
しかし「力づよさ」も「躍動感」も表現されるべきものではないのだろうか。
それは個性であって、表現力の優劣とは次元の違うものではなかろうか。
例え競技において得点が高くなくとも、彼女の演技は人々を沸かせ、
記憶に残るものだった。それが全てである。

彼女自身は人種的偏見を理由に挙げていた。
私はそれを肯定も否定もする材料は持たない。
だが、まるで彼女にだけはメダルを与えないと言いたげなジャッジをする国があったのは確かだ。
そして国と国、採点者の国と演技者の国との関係が如実にジャッジを左右していた。
そんな様子に嫌気がさして、私は競技としてのフィギュアを観るのを止めたのだ。
今では得点に疑問を持たずにすむエキシビジョンくらいしか観ていない。

現在の得点方式であれば、ボナリーはどれくらいの技術点を取れたろうか。
陳露はメダルに手が届いたろうか。
対照的な2人の「表現者」を思うとき、私は競技としてのフィギュアに疑問を感じるのである。

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