ぐうたら日記
INDEX 注:多分フィクションですw by hime

2005年04月11日(月)
靭帯切れてるしw
病院いってきますた。
靭帯切れてたーーー!!っ。
痛みから言って、切れてないと思ったんだけどなぁ。
しかも傾きが15度。15度まで傾いたことは
ない気がする。うるうる。
もう笑うしかないっす。ついに松葉杖生活突入。
こんな週に限って、会社があって病院があって、
オケが二回・・。歩けないって辛い。


とりあえず明日は、グリーン車で出勤です。
帰りは・・知りません。どうにかなるでしょう。
(始発待って座るとかね。)


木曜の病院は、キャンセルするかも。
一週間は動くな、といわれたし。
ストック探したら、パキ20mgが3Tあったので、
これを割れば6日分・・うん、なんとかもちそうだ、とか。
どっかにパキどっさりあったはずなのに、みつからない。
どこいったのかしら。(あれだな、見本分もあるから
そっから出せば10mgも2Tあるなぁ。)
セロクエルは、あと2シートはあるので平気。
なので、今週は診察だけだし、キャンセルするかなぁ。
先生も、前回「1000Tくらいストックがある」と
カウンセラさんから聞いてるだろうから、
納得するだろうなwギャハハ


あーー今部屋掃除してて、100均にも行きたいし、
りなざうの電源とか色々注文してて、明日取りに行くはず
だったのに。でも今の状態で秋葉歩き回るのは無理なので
送料かけて送ってもらおうと思います。。うるうる。


病院から帰ってきてかなり凹んで、ソラナックス飲んでたけど
何とか立ち直りました。ふぅ。やってらんないぜ。


というわけで、おやすみなさいーーーー
2005年04月10日(日)
また靭帯痛めたり・・・
08日、金曜日。
何もしてないと思う(ぇ
でもどっか出かけてたっぽい・・と思ったけど
やっぱどこも行ってないよ。
何してたかなぁ、思い出せない・・・;;
でも多分、寝てたと思うけど。
夜中(といっても朝方)ハイブリット日食だというので
徹夜した。2時間半しか寝ないで土曜日突入。


09日、土曜日。
またジャズバー行った。池袋で待ち合わせ。
ジャズバー行く前に、ひたすら食べて飲んだ。
おなかいっぱい。ジャズバー行く途中に芸劇の前に
桜が咲いてて、ぷちお花見。
ジャズバーは、、知らない人が迷い込んできて
面白かった。その人のおごりで、沢山飲んだ。
久々にビール飲んだよ。帰りは、終電の2本くらい前で
帰宅。。楽しかった。また来月行く。


10日、日曜日。
オケだった。んでも、行く前に家の前で転んだ。。
ついに、左足首をやってしまった・・・
社会人になってからは初だ。
(大学時代の4年間では、2回靭帯痛めてるが。)
でも練習に行かないわけにいかないし、
かといって日曜でどこも病院やってない、ので
そのままシップ貼って練習行った。極力動かず。
トイレにも行かず。階段の下りが厳しかった・・・。
明日、病院行ってきます。
でもね、シップすぐ貼ったから、思ったより腫れてない。
まーー何度も靭帯痛めれば、学習するわな。
ちなみに、自分の身体より楽器やりなざうのことを
気遣ったのはどうかと。。。(苦笑)
2005年04月07日(木)
同じ時間の流れの中での差って
診察&カウンセでした。
Fくんが「医者もカウンセラも役に立たなかった」って
言っていたから、自分もそれが怖かった。
一度不信になると、それを取り戻すのって大変だから。


診察で、言ったよ。
「日曜日に友達が亡くなったんです」って。
そのあとにカウンセリングだったので、
心の様子まではあまり話さなかった。
でも主治医は「みんな一緒に良くなるわけではないからね」
みたいなことを言っていた。私も、そんなに話さなかった。
でも最後に「辛かったら電話してきていいからね」って
言ってくれて、ほんと主治医には迷惑ばっかかけてるけど
いい主治医に恵まれたな、って思った。


その後カウンセリングで。いつも主治医とカウンセラさんの間は
話が筒抜けなので、その話を主治医がカウンセラさんに
したもんだとばかり思っていた。でもしてないらしく。
結局、最初から話すことになった。
いつもカウンセラさんは「どうですか?」の一言から始まる。
私はいつもその答えを考えて心理療法室に入っているわけではなくて、
そのときの気分を答えるようにしているんだけれども、
(その受け答えで、カウンセラさんは私のこと大体わかるみたい。)
今日は「んーなんともいえなくて、微妙で・・」って言った気がする。
前回、なんて言ったか自分は覚えていないけれど、カウンセラさんは
メモってるので「じゃぁ前回よりいいのかな?」と言われたのだけど、
「いや、そうでもなくて・・実は・・」って話が始まった。
私が「友達が亡くなって・・」という話をしたら、
カウンセラさんは、最初、もの凄く発言に気を使っていた。
いっぱい言葉を選んでいた。いつもよりカウンセラさんの発言数が
少なかったので「もしかしてこの人はこういう話題は苦手なのかな?」
と思いつつも、私が結構話したら、でもその後に色々フォロー
してくれたので、助かった。自分が気付いていないことも、
沢山言ってくれた。


そのポイントだけ、少し書いておこうか。(要約済み)
*本人と残された者は、どちらが辛いのか。
それは比較対象にはならない。
でも相手の気持ちを「共有しよう」という態度が重要。
*なんだかな、の中身はなんだろう。
彼女への怒り、自分への怒りを同時に抱えている上、
まさか彼女が、というショックがでかい。
*事故だとしても、自死だとしても、絶対に彼女も
無念だと思っていた。そして回りの人間も無念。
*薬を飲む、ということ自体が、誰にも伝わらない最後のメッセージ。
*やはりお葬式は、残された者のための儀式である。
葬送、はこちらから送る、ということだ。文字どおり。
お別れを言う場である。


最後に大きなポイントがあった。
それは彼女が亡くなった日に私がココで書いている、
「何が違うんだろう」ということ。
4年間サイトをやってきて、その当時一緒に悩み苦しんでいた人達で、
今は結婚して幸せな人もいる、仕事に復帰した人もいる、
資格を取るために頑張っている人もいる、
それなのに死んでしまう人もいる。この差は何なんだろう。


カウンセラさんに聞かれた、「なんだとおもう?」って。
私は答えられなかった。
でもこの着眼点は、ものすごくいいといわれた。
今考えるべきこととして、もの凄く重要なことだと。
私がその話をした途端、カウンセラさんのメモが激しく始まったよ。
そこに答えがあるのかな、私が4年も5年も6年もうだうだと
死にたいくんを引きずってるワケが。


ちなみに、次回その話をすることになりました。


PS.すみません、メルマガそろそろ書きます。。。ごめんなさい;;
2005年04月06日(水)
記憶整理
3日間、凹んだり落ちたりしてました(どっちも一緒だしw


やっと落ち着いて、記憶を整理しはじめました。
初めて彼女と会ったのは、2001/08/26?っぽい。
(やっと当時の日記とか、ファイルとかあさりはじめた。
でも手帳だけみつからないの!)
東京駅地下のでかいパフェを食べに行った。
彼女は、黒い服を着てたな。
集合場所に着いた時、見たことのない人がいて、
でもEさんとかFくんとかと喋ってて、それが彼女だった。
ちなみに、Kちゃんと会ったのもこの時が初めて。
Kちゃんと「やっと会えた!」って抱き合ったのを覚えてる。
(Kちゃん、覚えてないだろーーーー)


そのオフ会は(Eさん主催)
第1回が2001/05/05:有楽町でチーズフォンデュ(EさんFくん私あと誰?)
→EさんFくん私で銀座→(八重洲ブックセンターで自由行動)→
Eさん見送りで東京駅→私はJR、Fくんが地下鉄で帰宅
第2回が2001/06/23:私は参加してないみたい。彼女初参加。
(ちなみにこの数日後に、数人で新宿でカラオケしたらしい。)
第3回が2001/08/26:東京駅地下でパフェ(EさんFくん私、私の彼氏、
彼女、Kちゃん、あと誰?)→一番どり(EさんFくん私、彼女)
→八重洲口でFくんと彼女だけ残った記憶が。


その後(私主催)
2002/06/16:東京駅地下でパフェ女装大会(ぇ→一番どり
http://metastatic.yacy.org/me/off/off.html
2002/08/10&11:10日は池袋で飲み。11日は昼から新宿でランチ&カラオケ
http://metastatic.yacy.org/me/off/off2.html
2003/06/08:やまっこさんと合同オフ。昼はパステル、夜はアジキチ。
(私は昼間、本番だったので夜から駆けつけた。)
2003/10/23:浅草オフ。洋食のランチ食べてカラオケ行って海峡行った。
2004/01/24:新年会オフ。新宿海峡に行こうと思ったが2時間追い出し
だったので、HUBに行った。


それ以来、大きなオフはしてない気がする。
その後はHちゃんと私の誕生日会兼クリスマス会?やったり、
そのメンバで新年会やったり。


記録は大切だということが身にしみているので、
書いてないオフレポ、覚えている範囲で近日中に全部書きます。
(アーカイブにもキャッシュにも残ってなくて、
結構ショックだったりしてるので。)


ここまで記憶を掘り出すのに、何時間もかかってる・・・・。
とりあえず寝ます。補足はまた明日以降。
2005年04月03日(日)
no title
今友人から電話があって、いきなり知り合いが死んだ、と言われた。
その子の妹さんからと、その子の友人から電話かかってきたそうなので
本当らしい。けど最初、全然意味がわからなかった。


人が死ぬ、っていう実感がないんだと思う。


まだCoccoのDVD返してもらってないじゃないか!
なんで先逝っちゃうんだよ。
ひとりでずるいよ。帰ってこいよ!!


最初、全然実感わかなかったけど、なんかだんだん泣けてくる。
だけど、泣いたら怒られそうだね。
最後に会ったのは、昨年の10月か。


結局私たちには、何も出来なかったし、これからも何も出来ない。
悔しさと寂しさと悲しさと。


彼女のことを思い出してあげるのがいいのだろうか、
もう苦しまなくていいんだね、って思ってあげることが
いいのか、どうしたらいいのか全然わからない。
何かしてあげたくても、何か声をかけたくても、
彼女はもういない。


周りの人でさえ、こんなに混乱して、悲しんで、悔やんでいる
のだから、身内の人はもっともっともっと辛いんだろうなぁ。
これを反面教師にして、自分は生きるしかないか。
それが、彼女が残してくれたものなのかもしれない。


彼女のサイトへのリンクは、消せないなぁ。
私の心の中では、ずっと彼女は生き続けると思う。


久々の日記のネタがこれじゃなぁ。やるせない。
最近、私の闘病初期の頃の知り合いが結婚して妊娠した、って
話で「あーーみんな良くなってるなぁ」って喜んでたのに。
みんな苦しんでたのは一緒なのに、何が違うんだろう。
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