| 2010年02月06日(土) |
キノコホテル『マリアンヌの憂鬱』が好調だ。 |
ディスクユニオンの今週のチャート「日本のロック」のコーナーを見ると、一位がキノコホテルのアルバム『マリアンヌの憂鬱』、二位が遠藤賢司のボックス『実況録音大全第二巻1977-1986』である。 片や世間で話題騒然の新人ガールズ・バンドのデビューアルバム。片や日本ロックの創始者の一人であり史上最長寿のロックンローラーの10枚組大箱。一見して両者、キャリアも客層もまったく違うのかもしれないが、制作者の自分としてはどちらも渾身の作品であり、「濃厚で普遍的な音楽」というところでは共通しているのだ。
キノコホテルはユニオンチェーンにおいて、予約だけで数百枚を突破するという驚異的な数字を更新している。ユニオンの売上げはオリコンのチャートに反映されないのだが、まあそれはどうでもいいことである。 すばらしいオリジナル作品に、ファズギターとオルガンを核とするロックンロールサウンド。それをミニのミリタリー的な衣装で、マッシュルーム頭の女性4人が演奏しているのだ。好きな人には堪らないアイテムとキーワードがいくつも塗されている。メディアによって取り上げられ方が、微妙なズレや誤解が生じているところも、しょうがないというよりおもしろく感じる。 ライブではマニアックなカバーも楽しいが、表紙&特集を飾った「ルーフトップ2月号」(新宿ロフト系列のフリーペーパー)において、土龍団の吉田さんが書いているように、「色(エロ)」「動」「静」「笑」という4人のキャラクターのバランスが不思議なマジックを生んでいる。 メジャーメーカーからのリリースであるにもかかわらず、レコーディングもビジュアル面もすべてこちら側でコントロールできたことで、俺は満足している。もしもこのアルバムが今月のヒット作にならなかったとしても、10年経っても売れ続ける成功作だと断言する。よろしく。
| 2010年01月30日(土) |
遠藤賢司の「実況録音大全第二巻1977−1986」が遂に発売された |
1月22日に発売された9CD+1DVDのLPサイズの大箱『遠藤賢司 実況録音大全第二巻1977−1986』。
アルバム「東京ワッショイ」「宇宙防衛軍」「オムライス」時代のライブやデモテープを集めた膨大な未発表音源集。前作の箱「第一巻1968-1976」と同じく、3年近くかけて俺が選曲および制作したものである。はっきり言って今回は苦労した。誰かほめてくれ・・・って気持ち。 購入された方。まずは、豪華なバンドをバックにした音源を集めたDISC1、そして、エンケン自ら脚本演出した呉の防衛学校でのシュールなライブ映像を収めたDVDからチェックして欲しい。「東京ワッショイ」がたくさん入っているが、それぞれの聴き比べもまた楽しい。 作品のリリースがなかったので、エンケンさんがどのような活動をしていたのかあまりしられていない1984-1986年の音源を聴くと、佐野史郎のバンド「タイムスリップ」がすばらしいサポートをしており、宅録ではアンビエントな方向に向かっていたことがわかる。 ブックレットには当時の雑誌記事の転載や写真が満載。 「第一巻」は即売り切れてプレミアがついてしまったので今回も注意。急げ若者!
| 2010年01月21日(木) |
浅川マキの死、自分の影の一部が消えてしまったような気がする |
この人のことをいつか書かなければと思っていたのだが、それが追悼になるとは・・・。なかなか気持ちがまとまらない。 浅川マキ。俺は80年代後半の何年か、マキさんと少しだけ交流があった。 関東近郊のマニアックな情報誌「シティロード」(現在廃刊)でバイトしている時、新譜で聴いた『こぼれる黄金の砂』が好きだった。マキさんが編集部の音楽担当の市川さんと懇意にしていたこともあり、88年初頭、山口冨士夫さんのバンド=ティアドロップスのライブの案内を送ったことがある。開演直前に会場の入口にてマキさんを見つけた俺は、直接の面識はなかったが挨拶をした。マキさんは「山内テツも誘ったんだけどね」と言った。そしてこっそり帰っていった。 数日後、マキさんから大きな封書が俺宛に届き、丁寧なお礼の手紙とライブの招待券が入っていた。そこには、「冨士夫もいい意味で大人になっていないなと思って嬉しくなってしまった」とも書いてあった。非常に喜びつつも恐縮していた矢先、マキさんから俺に電話があり、長々と話をした。電話の内容はほとんど忘れたが、いきなり「あなたの顔が可愛かったから電話したのよ〜」と冗談を飛ばされて、ちょっとびっくりしたことを覚えている。その封書と手紙は今も大切に保管してある。 それ以来、俺はマキさんのライブに通うようになる。大晦日だったか、吉田拓郎をゲストに迎えた池袋の映画館「文芸座」でのオールナイトコンサートは特に印象的だった。 89年初頭、ある大きなイベントに出演してもらおうと思い、連絡をとった。電話での説明では概要が伝わりずらかったのか、深夜、マキさんの住む六本木のマンションに行くことになった。お酒を少々呑みつつ雑談をしていたが、アナログとCDで発売された新作『NOTHING AT ALL TO LOSE』、そのCD盤を聴いてどう思うか尋ねられた。まだCDのマスタリング技術に関して、ミュージシャン達はそれほど神経を使っていなかった時代だったが、マキさんは「かなり苦労してここまでCDの音を作ったの」と言っていた。そして、なぜかT-REXのライブビデオを延々と観ながら俺に言う「この時代(73年とか?)の聴衆と、現代(89年)のお客さんの音楽の聴き方は全然違うでしょう」。 その頃、近藤等則さんが「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出ることになり、事前の打合せで「浅川マキじゃなきゃだめ」と指名したらしく、フジテレビから交渉の電話が何度もあったがマキさんは最後まで折れず、当日番組を視たら、近藤さんが指名した人は、番組レギュラーのクマさんになっていた・・・などという笑い話も聞かせてくれた。 結局イベントには出てもらえなかったが、俺にとっては一生忘れられない一日となった。その後もライブには通い、たまに長い電話もいただいたりした。
定期ライブがピットインに移った頃から、なんとなく足が遠のいてしまったので、そろそろ見にいかなきゃと思いつつも、2009年末も見逃してしまった。元気だという話も耳にしていたので、まさかの訃報である。マキさんには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 多分、マキさんの死について世間の扱いは、団塊の世代がどうしたというような、一時期活躍した歌手みたいな報道なんだろう(チェックしていないが)。人間同士のロマンを大切にしていた人だった。最後まで「アンダーグラウンド」に拘り、自身の音楽を貫いていた唯一無二の存在。もう誰にもこの穴はうめられないんである。「時代に合わせて呼吸するつもりはない」っていうマキさんの名言を思いだす。
| 2010年01月16日(土) |
ロックンロールは生き方でなくて音楽なのだ、と今だから言いたい |
1月9日から10日にかけて開催された「ロックンロールお年玉2010」にご来場いただいた方、出演してくれた方々、本当に有り難う。感謝します。 今年で3年め、今回が一番多くお客さんが来てくれた。そしてステージから客席中央に延びた花道、大好評だった。なんで今までやらなかったのだろう。 「日本一花道が似合うバンド騒音寺です」とボーカルのなべさんは言ってたけど、それホント。トリは若手代表ということでザ50回転ズがつとめ、アンコールでは、フラカンの圭介、竹安、なべさん、そのほか入り乱れ、即興のブルースと「雨上がりの夜空に」のセッションで大団円。 さすがにこれで3000円は安い!といろんな人に言われた。自分のMCはぐだぐだですみません。
主催者でありながら心底楽しいイベントだった。でも一人で仕切るには規模がでかく大変な時間と労力を要するので、次回からはボランティアスタッフを募ろうと、いつも思うのだが、結局忘れてしまう。 おおいみんなあ(エンケン風)、来年も頼みます。そう第4回目は2011年1月8日に予定しているのだ(笑)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 たまには元旦から挨拶します。
2009年もいろいろあったが、とにかくたくさんのミュージシャンが亡くなった年だった。いったいこれはどうゆうことなんだろうか?と想いをめぐらせる。歴史的にも重要な人々がこの世を去ってしまった。毎年恒例だったNHK-BSのGS番組も今年はなし。 この世に残されたあなたと俺ががんばらなければいけないのである。
といいながらも、年末から、インフルエンザこそならなかったが長い期間、風邪をこじらせてしまい、自宅で寝ている時間も多かった。布団に入りながら、ジェファーソン・エアプレインの66-68年のアルバム5枚のリマスター箱を聴いていたのだが、改めて、ポップ、ブルース、フォークロック、アバンギャルド、などいろいろつまっているところがイイ。サイケ時代のサンフランシスコを象徴しているバンド、ルイズルイス加部や山口冨士夫がこのグループに影響を受けているというのも解る。昔、俺が買った日本盤LPの『シュールリアリスティック・ピロウ』はジャケが見開きで、日本語解説が印刷してあったと記憶している。
2010年、まずは1月9日の<ロックンロールお年玉2010>、クラブチッタでおあいしましょう。 エンケン&カレーライスは、これを逃すと次回はいつ観ることが出来るのか?。エンケンさんと竹安の壮絶ツインギターと、マエカワ&もっくんの超絶リズム隊。このバンドのすごさが正当に評価されるならば、武道館で6000円くらい取ってやってもいいんじゃないか? できればこれで全国ツアーと一枚アルバム作って欲しいと願ってやまない。スライ・ストーンや、マイクラヴ&ビーチボーイズの営業来日公演に10000円払って観にいくなら、この日に3000円払った方が、絶対世の中のためにも、自分自身のためにもいいことだと思うよ。いや、金の話はどうでもいいんですが。すみません、変な例え話でした。
| 2009年12月23日(水) |
2010もイベント<ロックンロールお年玉>をやるのだ。 |
みなさ〜ん。これ来てください!
<ロックンロールお年玉2010>
1月9日(土)16:00開場・16:30開演 〜22:30頃終演 @CLUB CITTA'川崎 044ー246−8888 http://clubcitta.co.jp/
出演: 遠藤賢司&カレーライス(竹安堅一、グレートマエカワ、森信行) Theピーズ、 フラワーカンパニーズ、 騒音寺、 ザ50回転ズ、 JAPAN-狂撃-SPECIAL、 キノコホテル DJ:キングジョー(SOFT HELL!)、サミー前田(ボルテイジレコード)
前売3000円 / 当日3500円 チケットぴあ、ローソン、eプラスにて発売中(P340-631 / L72244)
↓「深夜に同会場で第2部が開催」
<クレイジーミッドナイト69〜ロックンロールお年玉2010第2部>
1月9日(土)開場&開演24:30/終演5:00頃
出演: カルガモネンド、 ザ・サイクロンズ、 ザ・シャロウズ、 シベールの日曜日、 thee50's highteens keme
DJ:キングジョー(SOFT HELL!)、サミー前田(ボルテイジレコード)
料金:「ロックンロールお年玉」半券持参1500円 / 前売2300円 / 当日2800円 前売券2300円発売中→ ローソンチケット(L75559) / チケットぴあ(P342-231)
| 2009年12月22日(火) |
さようなら ぺぺ先生 |
12月13日、ザ・ハプニングス・フォーのベーシスト、ぺぺ吉弘さんが癌で亡くなった。 ぺぺさんとは2002年のハプニングス・フォー再始動以来のつきあいで、個人的にも親しくさせてもらっていた。去年の秋に神戸のホテルで開催されたディナーショウのサウンドチェック後、急に具合が悪くなって病院に行き、本番直前に戻ってきたことがあった。思えば、あの頃から本人はわかっていたのかもしれない。最後の最後まで、友人知人に病のことを知らせず、本人の意思により、お通夜も葬式もない。
長崎の生まれで、1960年代前半に福岡でキャバレーバンド「サンライズ」を結成し(最初はギタリストだった)、嫌がるメンバーのクニ河内を説得し、上京して「ハプニングス・フォー」となったのだ。音楽的なバンマスはクニさんだったが、バンドを仕切っていたリーダーはぺぺさんだった。 ハプニングス・フォーのシングル曲でもある「永田町への道」で、ぺぺさんの歌が聴けるが、スタンダードなボーカルものは絶品だった。渚ようこのアルバム「ギーナサドンバ・リサイタル」とオムニバス「昭和元禄NOW!第1集」で、二つの「べサメムーチョ」が聴ける。そして、ハプニングス・フォーで聴くことの出来る非常に独特なベース・プレイ。これはもっと評価されてしかるべきだろう。「何故?」とか「引潮満潮」とかすごい。 布施明が録音する前は、ぺぺさんがステージで歌っていた「そっとおやすみ」をハプニングス・フォー・バージョンで制作する俺の夢は終わってしまった。ライブテープはいくつか残っているのだけど。
70年代になってからは、プロデューサーの仕事もしていた。有名なところでは映画『八月の濡れた砂』のサントラを手がけている。ハプニングス・フォー末期と被っているバンド「羅生門」についてはインタビューをしたことがあり、「HOTWAX」誌1号に載っている。殆ど知られていないところでは、スリー・ダイアモンズ『ジャズ演歌・昭和男無情』(ワーナー・L6015A・71年8月発売)というアルバムがあって、羅生門にも参加していたポール・リーとともにぺぺさんの歌も聴ける。演歌を洒落たジャズアレンジでカバー。このレコードは本人のアイデアだったと言っていたが、確かにいかにもぺぺさんらしい企画である。 10年ほど前にお亡くなりになっている奥様と静岡の清水に住むようになってからは、ご機嫌なバーを開店して、若者達に音楽を教えていたり「先生」と呼ばれていた。
相手のことを「ユー」と呼ぶ。逆さ言葉は当たり前。あの時代のヤクザなバンドマン、根っからのギャンブラー気質。きつめのアルコール好き。本当におもしろい貴重な人だった。デビュー前の東南アジア巡業での武勇伝はもっと詳しく録音しておけばよかったと後悔している。
先生、大変お世話になりました。またいつか会いましょう。
| 2009年12月10日(木) |
「HAIR1969輝きの瞬間」は1960年代後半のムードいっぱいの秀逸なドキュメント |
「HAIR1969輝きの瞬間」(飛鳥新社刊)は、1969年暮、川添象郎が仕掛けた伝説のロックミュージカル「ヘアー」の話で、特にGSファンは必読の書だ。著者はカーナビーツの二代目美形ヴォーカリストのポール岡田。カーナビーツ解散直後に「ヘアー日本版」に参加したというタイミングだった。 カーナビーツ時代のポールのリードヴォーカルが聞けるのはオムニバス収録の「ゲットバック」だけだが、最近までアイ高野が存命の頃、何回かテレビなどで再結成しており、初代ヴォーカルの臼井啓吉の姿はなくポールが参加していたはず。 この本は、「ヘアー日本版」に至るまで、女性とのロマンスや、カーナビーツ参加以前のキャンディーズ(未デビューGS)の話なども細かく触れてあり、著者の青春物語ではあるが、60年代後半ならではの現象に溢れていて、この時代が好きな人にはたまらないものがある。掲載されたアーティスト写真、ジャズ喫茶やヘアーのリハーサル風景の写真も非常に興味深いものばかりだ。 このころ、俺は6歳くらいだったが、タイガースのトッポ含む出演者が舞台で裸になるらしいという(当時はかなりスキャンダラスな話題だった)噂や、関係者がマリワナで逮捕された事件は、リアルタイムでなんとなく記憶に残っているし、姉から説明されたような記憶もある。それぐらい世間は騒いだのだろう。この本と、昔出た「キャンティ物語」(幻冬舎刊)を読めば、「HAIR」とはなんだったのかよくわかる気がする。 因みに、以下のようなイベントも行われるが、俺いけないじゃん! GSファンはカーナビーツのラスト・シングル「テルテル天国」を持って、そちらにもサインもらったらよいでしょう(笑)
「HAIR 1969 瞬きの瞬間」刊行記念対談&サイン会
日時:2010年1月9日(土) 安藤和津(エッセイスト)× ポール岡田(著者)トークショー:15時〜 ポール岡田(著者)サイン会:トークショー終了後 場所:新宿高島屋1階JR特設会場(入場無料)
| 2009年11月23日(月) |
騒音寺を見ずして日本のロックを語るなかれ |
はい、本当にあっというまに師走になっちゃうって毎年今頃思うのである。
DRIVE TO 2010の熱演ぶりが伝説的でさえあった騒音寺、ソウル公演も大成功だったらしい。 昨年と同じく12月3日は、騒音寺の渋谷クアトロのワンマンだ。 韓国でもリリースされたニューアルバム『赤のビート』は超強力な極上のロックンロールが詰まっている。 騒音寺の作品は昨年のベスト盤を除いて、プロモーションされたことがほとんど無いと言ってもいいだろう。 彼らのライブの凄さ、その魅力こそが最大のプロモーションだからそれでいいのかもしれない。 メディアが与えてくれるものを待っているんじゃなくて、自分で探して最高のロックを手に入れろ!ってことだ。 以前、同じようなことを書いたが、村八分やサンハウスといった伝説のバンドに対する「無い物ねだりのような思い入れ」を、解消してくれるバンドが騒音寺なんだと俺は言いたい。 絶対、彼らのライブはすごい。未見ならば体験しないと日本のロックは語れない。
関東近郊のみなさん、12月3日20:00クアトロにて会いましょう!
それから、お正月恒例のクラブチッタ「ロックンロールお年玉2010」、1月9日に開催が決定した! おなじみ、遠藤賢司&カレーライス、フラワーカンパニーズ、Theピーズ、ザ50回転ズなどが出演。詳細はまた!
| 2009年10月31日(土) |
トラブルが多いと神経が麻痺している自分に気付いてしまうことがストレス |
俺たち団塊ってことに特権意識を持っているような人間はダメだろ。くだらん集団心理。それなら、日本をダメにしたのは俺たちだとか言って今からでも社会に貢献、奉仕しろよって感じ。 それはさておき、世代は無関係なんだがこのごろ本当にダメな奴と接する機会が多く、被害を被ることがしばしば。貧すれば鈍すってやつでしょうか? こちらは元々「貧」には慣れているんだが、「お前が社会的に評価されなくなり、仕事がなくなりそうだからってわけのわからない行動を起こして人に迷惑をかけるなよ」って事件が続々と勃発。 あのー、貧乏だろうが金持ちだろうが、子供だろうが老人だろうが「人に迷惑をかけない」ってことが生きる基本だろうが。お前の主張はどうでもいいんだよ。
そんな嫌な気分も、<DRIVE TO 2010>10月22日の新宿ロフトでのエンケン&アイラブユーを観て一時的にぶっとんだ! 大塚君も森君も必死に遠賢さんと対決していた三つ巴。 27日の頭脳警察も良かったが、ちょっとバックのメンバーが器用すぎるかな。トシさんのコンガだけがスリリングな印象。もっと混沌としてくれ!と思った。 遠賢の話に戻ると、主催の一人、地引雄一さんは「このシリーズ中、ベストアクトは遠賢に決定!」とうなったほどだった。前回観たのが80年春の日比谷野音のイベントだというから、30年経って遠賢があんなに凄いなんて本当に驚いたという。 プロレス好きだし、常に限界ギリギリまで見せる遠賢さん、この日は心臓破りのハードな選曲が続き、定番曲も少なめながらも客席もそうとう盛り上がっていた。アンコールも「夢よ叫べ」はやらず、新作から2曲だった。 ファンには申し訳ないが、対バンのオーケンの方は、安定感の強いステージで、すでにまもりの態勢に入っているような印象だった。
そして、『遠藤賢司実況録音大全第2巻1977−1986』、またまた発売日が延びました。 作業は順調に進んではいるのであるが、良い物を作るための延期、1月発売で必ずや出しますのでご安心を!! DVDは、驚愕の映像が発掘された。音源では四人囃子、パンタ、ウシャコダとのセッションも収録予定。未音盤化曲もけっこうあるのだ。また報告します。お楽しみに。
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