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2005年10月03日(月) さまざまな認識。

■事故を思い返して空恐ろしくなるのは、あまりにも突然、記憶が途切れていること。眠りが足りていた時にもかかわらず、起こされても起きない深い眠りに墜ちていたこと。痛みや気丈な会話を織り交ぜながらも、眠り続けたこと。記憶のないところで暴れていたこと。

時間がたってみると、わたしは誰かに強引に眠らされていたような気がしてくる。
つまりは、現在を許容して生きる自分自身に業を煮やした、わたしの本体が、駄目なわたしを眠らせて暴れて、「目を覚ませよ」と迫ったのではないかと。
これはくだらない想像だろうか?

■でも、わたしは、強引にそう思いこむ。その凶暴なわたしを鎮める方法は、表現という仕事の中にあると思うから。そうして、自分にはっぱをかける。

■休日の半日を、恋人と過ごした。
事故が起こって、わたしが危険な状態にあっても、この人はすぐには来てくれないのだということを認識した。そしてまた、そういう人だとわかっていて一緒にいるのだと認識した。それでも一緒にいたいのだと認識した。休日を一緒に過ごすと、やっぱり幸せだった。

自分に何か起こっても、かつてのように母に電話して泣きつくことはできないのだということも認識した。母は、病気を越えてから、かつての母ではない。わたしの頼る母から、わたしを頼る母に変わってしまったので、心配をかけるわけにいかないのだ。

如何せん、わたしは今、どこまでも一人なのだ。
世界に向かって自分の存在を表現に置き換える仕事をしない限り、生きていることも、死んでいることも同じくらい、一人なんだっていうことを、認識した。もとい。他者が認めてくれる仕事を出来たとしても、それでも一人なんだってことを、認識した。

■そして、偶々死ななかったわたしは、偶々生きているのだという、妙な感覚も覚えた。偶々生きてるだけなんだから、何を恐れることもないだろう、という、長らく同じところで仕事してきてがんじがらめになっていた自分が、ちょっと楽になった感じ。

■ちょっと哀しいこと。
外傷は大したことないと思っていたのに、5センチ直径の血だまりが後頭部に出来ており、まだ熱を持って炎症を起こしており、医者が言うには、いつかこの部分の毛根がやられてしまうかもしれない、ということ。
5センチのはげが出来るってこと?
これは痛くわたしを傷つけた。かなりかなり滅入った。
死んでもおかしくなかったところを生き延びて、生きてるんだからそんなことくらい何てことない、なんて思えないってことを、認識した。
生きてるってこと自体が、あらゆる欲を身にまとうことなんだって、認識した。

■さて。また一週間が始まる。仕事に関して言えば、まったく同じことの繰り返しのルーティーンな生活だ。その中で、ささやかな認識とともに、わたしは少しでも違う精神を持ち続けることができるだろうか? 
わたし本体の反乱に、立ち向かう人になれるだろうか?







2005年09月29日(木) 喜び、ひとしお。

■事故の翌日、一日穴を開けたものの、仕事に復帰して、生きてるぞ生きてるぞの実感、しきり。いやあ、ほんとに死ななくってよかった。死んでてもおかしくなかったものなあ。
仕事場では事故を伏せておいたので、何気なく日常に戻っていた。もちろん、「頭の中大丈夫か?」という不安は依然あったのだが、ひとつひとつ「大丈夫、大丈夫」と、自分を確認しながら一日を送った。
一日を終えても、眠ったらもう起きないなんてことがあるのでは?といった一抹の不安も残っていたのだが、しっかり目覚ましで目覚めた。外傷の血も止まって、かさぶたができはじめている。……どうやら悪運強きわたしは、生き残れたようだ。

■今日、復帰二日目で、ほぼ不安は消えた。明日から心も体も日常に戻るだろう。戻るわけなんだけど、頭のうちどころがよかったのか、本を読むときの集中度が事故前よりあがってる気がする。文章の理解が事故前よりスムーズなのだ。でも、これって、生きててまた本を読めるっていう喜びの表れなのかもしれないな。

■わたしみたいな馬鹿な人間は、いつなんどきまた危険な目に会うかわからない。恐れないで思いっきり生きてかないと後悔するぞと、自分と対話する夜。


2005年09月27日(火) 死に損なって、生き直そう。

■「どうしたんですか?」と声をかけられ目が覚めた。声の主は警察官で、我が家の玄関の前にわたしは寝ていたらしい。そして、頭がひどく痛い。触ってみると、膨大な量の血が凝固して、わたしのロングヘアーはがちがちのひと塊になっている。

■覚えているのは、8時頃一人でふらっと一人で飲みに入った店で飲んでいた11時頃まで。それ以降の記憶はまったくない。

■と、恋人から電話がかかってきた。「大丈夫?」と。どうやらわたしは店で倒れて、バーテンダーにタクシーで家まで送ってもらったらしい。場所を知るために、店の終わった朝4時、彼はわたしの携帯から恋人の名前を探して電話をかけたのだ。どうやらうわごとのように恋人の名前を呼んでいたらしいから。

■何が起こったか。
 わたしはさほどの量でもないお酒で眠り込んでしまい、カウンターの椅子から転げ落ちるなどの迷惑をかけたあと、トイレへ。長らく出てこないのでバーテンダーが入ってみると、頭から血を出して、大の字になって倒れていたらしい。(話しかけると、「大丈夫、大丈夫」と元気に答えていたらしいが、もちろんわたしは覚えていない。)そして、苦労してタクシーで家まで送り届けてくれたのだが、わたしはなぜだか、わざわざ部屋を抜け出して、家の外で眠ってしまったらしい。

■何故こうなったか。
 怒りだの不満だの不安だの孤独だのストレスだの、負のパワーがわたしの中で爆発しちゃったような気がしている。疲れた身体の中で、爆発が起こって、ぶっ倒れちゃった、と、そんな感じ。

■部屋に入って、再度の貧血。ふらっと倒れて、床の上で固まり動けないこと1時間。病院に行こうと、ひと塊になった髪の毛を洗っていたら、さらに目眩と頭痛に襲われ、これは駄目かもと、救急車を呼ぶ。やってきてくれた救急隊員はとても優しい目をしていて、一人の恐怖から少し救われる。

■CTスキャンとレントゲンの結果、脳内の損傷はなし。なんてわたしはついているんだろう。頭痛はあるが、外傷の痛みと、打撲の痛みからくるのだろうということに。
で、へんてこりんなネットを頭に被されたまま新大久保の病院を一人出て、タクシーに乗り込む。

■恋人に電話で結果報告しながら考えた。
死なないでよかった。死んでてもおかしくないのに死ななかった。爆発して血も大量に流したから、きっと貯めこんでた悪いものも流れちゃっただろう。
死に損なったからには、明日からまた生き直さんといかんなあ、と。やるべきこと、いっぱいあるよなあ、と。









2005年09月22日(木) 今、自分が在る場所では、ないところに。

■大作に関わっていたため、初日を開けるまで人心地のしない日々だった。何の問題もなく仕事しているだけでも大変なのに。ああ。
同僚との不和に悩み、疲れていても酒を飲まねば眠れず。神経と肉体の疲れから仙骨を痛めて立てなくなり、まあ、それでも病院通いしながら仕事を続け。現在を生き悩む恋人はしばしば荒れて、危うく警察沙汰の騒ぎを何度も起こし、それに悉くつきあい。
現場では、大変な仕事であるがゆえに出演者たちが抱え込むストレスを、一手に引き受け、あらゆる口からこぼれる不平不満に耳を傾けた。
眠りを削り、心を削り、まったく、わたしは何人分もの人生を一気に生きてるようだった。体力だけはある女で、本当によかった。まあ、それでも今回は肉体を痛めたけれど。

■現在は本番のランニングをこなす日々。少し本を読む時間も生まれた。
母の闘病の記憶が新しいわたしは、リリー・フランキーの「東京タワー」を落涙しながら読んだ。
村上春樹の新作「東京奇譚集」は、わたしを、「今、自分が在る場所」から「今、自分が在る場所ではないところ」に連れていってくれた。
遠いところで吹いている風に、わたしは知らず知らず動かされている。
今、自分がいる場所ではないところに、世界はある。
風が吹けば吹きだまりが出来、水が流れれば淀みが出来る。じゃあ、人が生きれば?
自分の生きる根拠を、足場を、自分がいる場所ではないところに、ふと見いだすことがある。自分の現在を俯瞰する作業は、意識しても出来るものではなく、自分の場所での現在の積み重ねが飽和に達したとき、自然と訪れるものなのか?
こういう本を、仕事が佳境のときのわたしに読ませてやりたかったと思うが、それは無理というもの。
興奮と熱狂からしばし醒めて、仕事を重ねながらも、静かに自分と向き合いたいと思うこのごろ。


2005年08月07日(日) 蜜の味。

■毎日苛酷な仕事が続く。10時から10時まで仕事場に詰める現在の生活は、当分変わりそうもない。休みも、しばらくは取れないだろう。だいたい、一週間に一度仕事が休めるなんて夢のような生活ではないけれど。

■そんな苛酷な暮らしの中だというのに、精神の揺れる恋人から手痛い仕打ちを受け、一晩中泣き続け、一時間泣き疲れて眠って、そのまま仕事場へ。……死ぬかと思った。仕事すること自体より、何事もなく明るく平穏な自分を保つのが辛すぎて。
 それでも、反省してわたしに謝罪し、愛を求める恋人の姿があまりに真摯なので、それに心打たれてしまい、またさらに愛することになってしまう。生きてる辛さを一気に共有してしまったようで、お互いにさらに離れられない関係になっていく。
 わたしと年若き恋人は、何度も何度もこんなことを繰り返している。これが蜜の味になってしまっているようで、ちょっと怖い。……そのたびに、わたしは色んな代償、代価も、支払っているから。いつか、とんでもない喪失の日が来るかもしれない。でも、その恐怖もまだ想像の裡。心と体に染み渡る蜜の味には屈してしまう。




2005年08月04日(木) 風味絶佳。

■闘わねばなあ、と、思う。ふがいない今の自分とも、許せない他者とも、改革すべきシステムとも。
 このところの自分の心の揺れを振り返って、強く、強く、そう思う。
 もちろん、人生をひいて見る個人の生活に没入することもできるだろう。生きていくための収入さえ安定していれば。でもなあ、それじゃあ物足りない、生き足らない自分だってことは、よく知っているから……。

■山田詠美さんの「風味絶佳」にいたく感動して、早くも読み返している。読み返したら、もう一度読み返したい。すべては男と女の「愛」に帰してあるのだが、それだけでは終わらない。そこに、人間の根源的な生きる意味、人間の死すべき運命が知らしめるものが、巧みに埋め込まれている。食って、寝て、異性を求めて、セックスして。息を吸って、吐いて、止めて。喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで。もう、あれこれあれこれが、美しい日本語で、語られる。まだ8月だけれど、これが今年のわたしのナンバー1小説になるだろうと予感する。

■今、わたしは、わたしにとっての「風味絶佳」の男がいる。我が人生を惑わせ我が人生を彩る人。どんなに惑いが深くっても、無駄な時間を如何ほどに過ごそうと、鮮やかな彩りに喜ぶ瞬間は捨てられない。わずかな至福の一瞬が待っているという期待感のために、どれだけ涙を流してもよいと思う。


2005年08月03日(水) 神経が……。

■眠れない。実に36時間、眠れずに過ごした。ワインを体に染みこませて、ようやく眠ったと思ったら、36時間起床の見返りにはわずかな5時間で目覚めてしまう。それでも少し眠れたのがうれしい。今までの不眠症は、眠りたい時間に眠れなくっても、一度落ちたら眠りは深かった。こんなの初めてかも。

神経をひりひりさせることが、確かにたくさんあるのだ。
新らしい仕事にまつわるあれこれ。
一緒に仕事をしている人間に対するあれこれ。
自分の未来に対するあれこれ。

それらをうまく整理できなくって、ひりひりひりひりし続けていて、神経が逆立っている。すぐには解決できない問題ばかりだし、ずっと自分の中に内包していかなければならない問題ばかりだし、参ったなあ。やれやれ。

■どうせいつか灰に帰す身と知りながら、こうして悩み続けて生きるのは、まったくどうしたものか。もちろん、それだからこそ、芸術の世界の隅っこに存在する意味があるのだけれど。


2005年08月02日(火) ささやかないいこと。人々の笑顔の後に。

■時差ぼけというやつを初体験。何度も海外旅行してきてきたけれど、普段から不規則な生活を送るわたしに時差ぼけは無縁だった。ところが昨日、1時半に眠って、起きたら3時。それから8時まで眠りにつくことはできなかった。あまりに覚醒しているので時間をもったいなく感じ、掃除を始めたり、気になっていたことを書き付けたりしていたので、よけいに眠気の訪れが遅かったのかもしれないけれど。
 
■昨日も書いた、ブルックリン橋への散歩の半日は、ささやかないいことに恵まれていた。

→地図を見ながら地下鉄の入り口を探していたら、紳士らしい服装をしたおじさんが、まるで道案内が我が仕事とばかりに「どこに行きたいの?」と声をかけてくれ、的確に教えてくれた。
→トークンで地下鉄に乗る時代しか知らないわたしが窓口で「ブルックリン橋に行きたいんだけれど・・・・・・」と言うと、売り子のおばさんはカードを発券しながら地図を出し、地下鉄を降りてからの道案内までしてくれた。
→中華街に向かって歩く道すがら、けたたましくクラクションの音。「何事?」と振り向いたら、後ろを歩いていたおじさんが財布を拾いつつ、「ありがとう」を車に向かって叫んでいた。お財布落としたのを、教えてあげてたのね。
→中華料理屋で注文中、牛肉料理を一品頼んだら、それが野菜料理の中身とかぶっていたらしく、店のおじさんは「牛肉は俺のお奨めを出すから、それにしなさい」と言う。まあ、気ままな散歩中の食事だから、と、申し出を受けて料理を待ったら、実に美味しい一品だった。「こ、これはもしかして高いのでは?」と不安になったが、伝票に書かれた値段は実に良心的なものだった。
→料理を頼みすぎて食べきれず、おじさんに「食べきれなくって持って帰りたいから、パックしてもらえますか?」と頼むと、いやな顔ひとつせず、ちゃんとTAKE OUT用のパッケージにいれて包装してくれた。もちろん、ただで。
→半日の散歩の中で、たくさんの人がわたしに笑顔をくれた。小さな黒人の子供たち、犬を連れた奥さん、中華街のおじいさん、筋骨隆々の家族連れのお父さん、友達とおしゃべりに興じていた高校生、ほかにも、たくさんのたくさんの人が、わたしに笑顔を投げてくれた。で、わたしも笑顔を返した。笑顔率の高さは、ここ何年かのわたしの人生で、一番だった。

と、そんな風に歩いていたあと、橋の真ん中で、9.11以来の喪失の風景に出会った。

個人が、夥しい数の他者が形成する世界で生きることの、喜びと悲しみを思う。




2005年08月01日(月) 帰国。

■海外公演の大変さと醍醐味と感動を、いっぱいに味わって帰国。

■タイトなスケジュールだったので、自由時間があったのは二日間、それも夜公演を控えての昼間だけ。

 ひとつめの昼は、最初の渡米で印象に残っていたブルックリン橋を訪れる。
 地下鉄で中華街まで出て食事してから、マンハッタン橋を徒歩で渡り、ブルックリンへ。そしてブルックリン側からマンハッタンに向けて、ブルックリン橋を渡る。橋上は徒歩ラインと自転車ラインに分かれており、颯爽と駆け抜けていく自転車を眺めながら、ゆっくりと木製のステップを踏んでいく。
 橋の真ん中まで来ると、二棟の高層ビルを喪ったマンハッタンを一望できる。9.11以来はじめて見るN.Yの姿。しばし立ち止まって、いろんなことを考える。ただ歩いているだけでは傷を見せない街の、消えない傷のことを思う。

 ふたつめの昼は、海外に出るたびの娘の義務、父へのアンティークカメラ探しに時間を費やす。ようやく探し当てた代物は、ヨーロッパで探し当てたものたちほど素敵なものではないが、土地ごとにとにかく持って帰ってあげることに価値があると、大枚を支払う。
 
 劇場に5時いりという時間の制約から、短めの上演時間のマチネを探し、「プロデューサーズ」を観る。この間日本に来ていたものだが、まあいい、見逃しちゃったんだもの。本場で見る。
 極上のエンターテイメントを、楽しみつつ、勉強する。
 「ヘアスプレー」とか「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」とか、見逃してる本場「ライオンキング」とか、観たいものは山ほどあったのに、劇場を目の前にしつつ、我慢して帰国。ああ・・・・・・。

■時差ぼけがさて、いつになったら取れるのやら、そんなことはおかまいなしに、とにかく明日から、また新しい仕事場へ。とりあえずの洗濯を終えたら、眠らねば、眠らねば。


2005年07月22日(金) 長い一日。

■朝。久しぶりに我が家を訪ねてくれた恋人が、早い時間に仕事に出かける。眠い目をこすりながら、朝ご飯の支度、駅まで自転車で送っていく。

■午後。一度一緒に仕事をしてから、とても大切に思っている俳優が主演するミュージカルを見に行く。成長著しく、終演後楽屋に行き、その仕事をねぎらう。

■夕刻。再びヘアサロンに行って、さらに強いパーマをかける。前回に劣らず実によい出来。丁寧な仕事をしてくれるいいスタイリストに出会った。

■夜。母が再入院の報せを父から受ける。命に別状はないらしいが、突然容態が変化したので、明日検査がある、とのこと。10日ほど前に帰ったときは、あんなに元気だったのに……。不安が募る。

■深夜。恋人が仕事で使う着物の直しをする。若い頃覚えた和裁が役に立つ。一針一針、丁寧に、心をこめて縫う。3時間もかかってしまったが、なんとも美しいできばえ。

■そして、明日は、また朝から仕事場に出かける。あと2日間、次の仕事の稽古をして、明明後日の朝には米国に向けて飛行機に乗る。


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