人生の午後に書く日記

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正直イライラする
2010年06月09日(水)

人と関わると必ずストレスを感じてしまう。介護の方の日記にいつも声をかけてくれる人がいるのだけど、この人がどうにも苦手なのだ。善人だしいろいろ大変なのはわかるけど、私を励ましてくれる一方で、それ以上に自分を肯定してもらいたいのが本音のようで、それを感じる取るともううんざりしてしまう。他人に自分の評価と肯定を期待していたらいつまでたってもきりがない。それを支えにしようとしては駄目なんだと思う。かといって、100パーセント私自身がそれを割り切れているわけではないが。


火事
2009年12月13日(日)

先週の水曜日、斜め向いの家が火事になってしまった。ちょうどその時間、普段はそんなところにいたこともないのに、たまたま北の部屋の片づけをしていたら「パンパン」とバクチクのような音が。私はあれが大嫌いなので、こんな寒空の下に誰が何のためにやってるのだ?といぶかしく思いながらふと窓の外を見たら、その家から火柱が上がっていた。慌てて父に知らせる。私はただおろおろとするばかりだったけれど、父が消防に電話してくれた。そのうち有線で「○○さんの家が火事です」と放送されるが、それがなぜか全然違う家の名前。ああいう時って情報がちゃんと伝わらないものなのか? それにこういう時って時間が長くてなかなか消防車が来ない。そうこうしているうちに消火が始まる。けれど、火の勢いが強くてなかなか消えないばかりか、うちの方に火の粉が降ってくる。逃げなきゃいけないかと思ったけど、何を持って出たらいいのかさえ判断できない。母を驚かせてはいけないと「落ち着いて。大丈夫だから」などと口走るが、私が一番落ち着かない。隣の家のおばさんは「うちの電気がつかない」というので「おばちゃん、うちで一緒にいよう」といってみたが頑なに拒否される。おばちゃんも大パニックだ。とりあえず思い立って、私はホースで屋根に水をかけるがうまくいかない。そうしているうちに火が弱くなってきたがなんとも落ち着かない。実は火事の前、母にひどいことを言ったので、それを思ったらこみ上げてきて号泣。いつもと同じように生きていられるだけでこんなに有り難いじゃないか ! 「さっき言った事は全部嘘。世界で一番大事だからね」とこんな時だからこそ言えた。

ちょっと疲れてきたので、後はまた書きます。

というわけで追記です。

なんとも落ち着かない気分のままその日を終える。翌日、あれは夢なんじゃないか、と思うものの窓から覗くと半焼した家が歴然とある。朝一番でその家の人が昨夜父が貸した半纏を返しにきてくれたが、私は「大変でしたね」とした言えず。ボケている母は人が来てくれたことに喜んで「嬉しいよ〜」などと言う始末。本来の母であったら、たぶん一緒になって泣いて慰めていたと思う。かく言う私も、もうはるか前の学生時代にお風呂を沸かそうとしてボヤを出したことがあり、事故というものは気をつけているつもりでも、ほんの少しの隙に入り込んでくるものだという実感がある。だから、とにかく同情心しかなかった。でも、とりあえず火事の原因を知っているかと父に聞いてみたら・・・
「ストーブの火を消さずに給油した」ことなんだって。

いい加減にしろ ! !


もういい
2009年11月27日(金)

この頃、母のシリメツレツが加速。どういうことがいけないんだろう? ただ痴呆が進んでいるだけなのか? 

朝から晩まで気をもんでスリへっている私のことは忘れ、邪険にしてばかりで、何一つとして協力しない父のことはわかることがたまらなくくやしい。二人とも殺してしまいたい。

「早く死んでよね」と母に言っておいた。


母の不在は・・
2009年09月12日(土)

昨日は母の3回目のデイサービス。最初は泣くほど嫌がっていたのに、だんだんと慣れてきたのか、素直に行ってくれるようになってきた。母がいないとラクかというとそうでもなくて、いない間にいろいろ済ませようとするため、落ち着くどころか、いつもより忙しくなってしまうように思う。

そんな中、一人でご飯を食べていたりするぽっかりとした時間ができると、今度は持て余すほどの孤独にたじろいでしまう。猫もなんだか淋しそう。母が傍にいると鬱陶しくて疲れて仕方ないのに、いないと寂しくてしょうがない。そして今日はずっと一緒にいるのだけれど、そうなるとまた疲れて仕方ないのだった。


ちょっとした変化
2009年09月01日(火)

ずっと悩んでいたんだけれど、父の母への虐待(言葉による)ぶりを、母方の叔父に手紙で知らせることにした。親戚とはいえ、家庭内の恥を伝えてしまうことに抵抗がないわけもないんだけれど、こうでもしないと私の父への怒りがもっとエスカレートしてしまいそうで、それを抑える意味でもアリなんじゃないか、と。で、出してしまった今、やっぱり微妙に後悔が・・。叔父は学校の先生だった人であり、常識人なので、私の立場も考えてくれるはずだと思うが、やはり後ろめたく、成り行きが不安でもある。

この頃母の"帰宅願望"が出ないとかえって不安になるほど。今日は落ち着いている気がして出ないかと思ったら、やっぱり出た。が、今日は「娘の孤独が気になるんだよ。だから帰りたいんだ。」と言ったのだ。こんなことを言うのははじめて。いつもは母の実家に帰りたがるのに。それに私の話なんか出てきたこともないのに。・・・わからない。私のことを思っていてくれるのか、それとも妄想上の"娘"なのか。あなたの目の前にいるのが娘なんですけど・・。嬉しいような悲しいような、とても複雑な気持ち。

最近になって、ケアマネさんについてもらい、デイサービスにも行き、隣の家のおばさんにも母の実態を知ってもらうことができ、それらのことで私の心の重荷が確かに軽くなった気がする。



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