人生の午後に書く日記

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慣れと偏見
2009年02月17日(火)

母の眩暈がなかなかよくならない。というか波があって、なんでもなくてお風呂に入れるときもあれば、立ち上がろうとして、倒れてしまうときもある。紹介してもらった病院へ行ってみようと思う。

ただこの一ヶ月、こんな状態の母にだんだん慣れてきて、前は母がくらくらすると言っただけで私はお腹が下るくらいだったのに、今はあまり動揺したりしない。どころかせっかく久し振りに47キロまで落ちたのに、ちょっと安心したせいで過食になり、これまた久し振りに50キロ超えをしてしまったのだ。さっき食べたばかりなのに今また空腹。空腹感に勝てなくなってきた。

今朝ゴミ捨てに行ったら知らない男の人が「おはようございます」と先に声をかけてくれた。私はよれよれの格好で行ったのに、よくぞ挨拶なんてしてくれたと思う。それも笑顔で。で、見てたらその人ちょっとカッコイイ系の車に乗って去っていった。なんか、そういう人って挨拶なんてしてくれない嫌なヤツだろうってな気持ちがあるけれど、人を見た目で判断したり、偏見で凝り固まってるのは私だよなぁと思わせられる。


どこかで繋がっている?
2009年02月09日(月)

母の眩暈がよくならないため、今日は病院へ連れて行った。とにかく連れて行くまでが一苦労。何かちょっとしたことで「行かない!!」となってしまうので。なんとか連れて行ったものの、その病院はレントゲンの設備などないのか、この前往診してもらったときと同じような診察内容で、見立てもこの前と変わらず。脳梗塞など危ない病気の兆候はない、とのこと。再びそう言ってもらえたことで安心は安心なんだけれど、脳の写真など撮っていないことが引っかかる。でも一応脳神経系の病院の紹介状を書いてもらったので、一歩前進と思おうか。なんか母のためというより、私が安心したいだけって感じがするけれど。

で、その病院で高校時代の先輩のイノウエさんに会ったような気がする。音楽クラブで一緒だった人。向こうはわかったかわからないし、声も掛けなかったけど、たぶんそうだと思う。こんなところで何十年ぶりに会うなんて不思議。あんな少人数のクラブで一緒になるのもすごい少ない確立なのに、またこうところで会うって、薄いながらも縁ある人なのかもしれない。母も知り合いに会ったようで声を掛けられていた。でもその人は普通じゃない母の様子に面食らったようで、すぐに黙ってしまった。他人って、普通じゃないものにはほんとに冷たいものだとつくづく思う。イノウエさんも、今の私の現状を知ったら軽蔑するんだろうか。

縁、というんじゃないけれど、病院にいたとき、お気に入りの郵便配達のお兄さんが調度来ていて、こっそりジロジロ見ていた私。帰宅後も2度見かけてなんか得した気分であった。





アリセプト以外の薬はいつだ?
2009年02月05日(木)

ここ一週間母の体調は回復していたのに、また眩暈がすると言う。一度診てもらっているし薬もあるので、またもうしばらく様子を見ようと思う。

服用しているアリセプトかイチョウバの副作用なのではないかと気になり、それらをやめてみる。一応かかり付けの病院に問い合わせたら親切に答えてくれたけど、やはりアリセプトに変わる薬はないという答えに失望。

病院へ連れて行くのなら、その病院の内科担当の先生は脳神経系が専門ということで眩暈は範囲らしいが、この間往診してもらった先生がとても丁寧で、医者には珍しいほど好感のもてる方だったので、ならばまた診て貰いたい気もして悩む。独り悩む。

眠れないということに悩んだことのない睡眠女王の私が、もうずっとよく眠れない。


幸福感は長く続かない
2009年02月03日(火)

母の体調がよくなり、さえないながらも現状維持できることの有り難さが身にしみて、柄にもなく幸福感に包まれた先日。が・・。やはり幸福感は長続きするものでなく、反動のように泥のような憂鬱に包まれてしまった。頭では、母がよくなってもうそれだけで十分と思っているのに、心の奥で「そんなわけないじゃん!」と己を糾弾する私がいて、こいつがどうにも手に負えない。ほんとは母のことも自分のことにもうんざりしていて、見込みのないこの一生にしがみついている意味なんてあるのかなぁ、なんて気持ちが覆いかぶさってくる。

と、そんなふうでいたら、また母がクラってする、なんて言う。
・・・。私が悪うございました。


さえない日々の有り難さ
2009年01月29日(木)

ここ2週間ほど母の体調が悪く、毎日ヒヤヒヤしながらいたけれど、おかげさまでとてもよくなってきて、今日久し振りにお風呂に入れることができた。下着も2週間ずっと替えられず、どうやって着替えさせたらいいのかと悩んでいたので、お風呂に入ってもらえてやっと気がラクになった。バンザイ!!

母が体調を崩したお陰で、苦しくともそれなりに過ごせる日常の有り難味が身にしみた。近くに往診をお願いできる親切なお医者さんがいてくれ、母は一人でトイレに行けて、お風呂にも入ってくれる。なんて素晴らしいんだろう!! 

こんなことがあったせいで、なんで私ばっかり症候群で、慢性死にたい病の私が、これまで感じたことのない幸福感に包まれているのです。正直2週間前までは、この日常にうんざりし、母に対してつらくあたる事が多かったし、他人を恨んでばかりいた。そんな私をみかねた後ろについててくれる人(?)が、ちょっと図ったのかもって気がする。その人(?)は、いつも親よりよっぽと厳しい目で私を見守っていてくれていて、時々救いの手を差し伸べてくれる。この目に見えない存在にとても支えられている。



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