8月のおわり

8月も最後です。

いろいろなところで、今日は夏休み最後の日、というフレーズを聞くけれど
最近の学校はもう始まっているんだぜ、と思う。

しかし、暑い。
この夏は例年と比べて2度ほど高いそうです。
去年は冷房をつけなくても、それなりに過ごせていたものですが、
今年はそんなことを言っていられません。
生き延びるために電気を使っています。

先日は職場に大学院の同輩と後輩が遊びに来てくれました。
図書館というところはおしゃべりをするわけにもいかず、
うちは小さな図書館だから見てもらうような場所もなく、
挨拶もそこそこに別れてしまいました。
後輩は本当に久しぶりだったので、もっとおしゃべりしたかった。

そして、わかったことは
今年も私学適性検査は終わってしまったということ。
また、受験し忘れてしまった……。

私はいったいどこへ向かおうとしているんだろう。
2010年08月31日(火)

ロボット!

奇跡的に休みを急にとることができたので、
様々な予定をずらして名古屋に行くことにしました。

大学に行くという用事さえなければ、
昨晩のうちに出発することができたし、
マチネを観て名古屋を脱出し京都に行けたのに、
と思うと少し悔しいが、
今回はあいちトリエンナーレを楽しむつもり。

平田オリザの「森の奥」を観てきます。
ロボットのボディは身体と呼びうるのか、
それは肉体となりえるのか、
などなど、とても楽しみです。

須磨ちゃんが女優として舞台に立って、およそ100年。
ロボット演劇なるものができるとは、驚き。

名古屋到着は昼過ぎ。
用事を済ませて、名古屋から栄まで歩く。
暑い!!
たった2駅、されど2駅。
思っていたよりも苦しかったです。

途中、インテリアショップに寄るべく、
裏道にそれると、偶然にもトリエンナーレの会場発見。
楽しそう。
明日行こう。

小さい頃から算数が好きになれなくて
数字を見るだけで思考停止になってしまう私は
またしてもこのことで壁にぶつかっています。

学力が足りないのは、結局のところ怠慢で、
そう考えると自業自得なわけで、
もやもやと悪いループが発動。
人生、次のステップに進みたいなあ。

まあ、いいや。

ロボット演劇はまだまだ不安定。

「ロボットだから」というまなざしにあふれています。
女だから、と注目を浴びた須磨ちゃんと同じ。
見慣れたら演技の自然さに目がいくようになる、たぶん。

とはいえ、ロボットが人との間に入って
違和感なく観られるようになるには当分時間がかかることでしょう。
それはロボットの発達の問題、
観客のまなざしの問題、両方に理由があります。

でも、このロボットが演じる(ように見える)瞬間に
立ち会えて良かったと思います。
2010年08月24日(火)

ロロ「ボーイ・ミーツ・ガール」

ロロの「ボーイ・ミーツ・ガール」を王子小劇場で観てきました。
ものすごい評判の良さだったので、ついつい行ってしまいました。

そんな、みんなが言うほどかなあ、というのが第一印象。

でも、仕方ないな。
要は、恋の話なんだもの。
恋愛に対して否定的な考えを持っている私が
恋の話を楽しめるわけがないのです。

恋愛は不可能だ、とまでは言わないにせよ、
ある種の思いこみと妄想だろうと常々思っているわけで、
そんな人間が今回の作品をポジティヴに受け取れるはずがない。
完全に自分の考え方の問題。申し訳なくも。

話はともかくとして、
物語自体や動き方にアクロバットな展開を期待していたのだけれど、
終始まあ無難だったのではないでしょうか。

音楽や展開は類型を多用しながらも、ずらしを入れることで
それなりに独特の空間ができていました。

(そうそう、どちらかといえば、快快に連なるかなあと思いました)

ただ、恋愛(運命の人云々)や自分とは何かという問題、ミステリの構造など
いかにもな展開は「スーパーオリジナル」な恋愛を求めている登場人物とは逆説的に
非「スーパーオリジナル」な構造であったように思います。

基本的には、やっていることは面白いかもしれないけれど
恋愛に興味ないし、人はばたばた死んでいくし、
別に好みではないし、けっこう退屈していたのですが、
終わりの場面で急激なカタルシス。
一見すると感動の最後といった「型」だったからじゃないかと。
だまされたらいかん。

ちょうど12年前の『PT』という雑誌を読んでいて、リアリズムについて考えていました。
リアリズムと言っても演劇に関して。
新劇はさておき、平田オリザら90年代と10年代演劇のリアリズムの違いは
「とりとめのなさ」の前景化ではないかと思います。

思いつきですが、例えばチェルフィッチュ以前の演劇において
物語は言葉も動きもノイズを生じさせることなく、それはないものとして、
進行させていたような気がしていて、それが最近になって
これまで排除されてきたノイズを組み込んて日常を描くようになってきたように思うのです。

世を見やれば、日常の会話も動きも筋の通ったものなど数少なく
あちこちと漂って会話は帰結に達します。
そうした「とりとめのなさ」を現代の演劇は描いていて、
いわばネオ・リアリズムとでも言えそうな気がしています。
(でも、五反田団なんかはシュールレアリズムなんじゃないかと思っていますけど…)

舞城王太郎との比較が散見されますけど
私は一冊しか読んでいないのでわかりません。
ああ、そうかもってくらいです。

取り急ぎ。
2010年08月21日(土)

果実酒

火曜(休み)は、掃除をしたり本を読んだりしながら過ごした。
お昼には草むしりをしていた大家さんとおしゃべりして、
夜は後輩を呼び出して一緒に飲んだ。
決してパワハラじゃない、と思いたい。

後輩が連れて行ってくれたお店は名の如く裏にあったのだが、素敵なお店だった。
「本日の果実酒」というのがメニューにあり、詳しくは店員までとあったので尋ねてみると
果実酒の種類は、梅、夏みかん、とうがらし、珈琲、などなどと言う。

ん、とうがらしや珈琲は果実じゃなくね?
と思いつつ、もちろん珈琲を頼む。

厨房の大将みたいな人が、カルーアミルクとはちがうよ、と忠告。
持ってきたおじさんも、苦いよ、と忠告。

どんなもんかと飲んでみたら、まあ想定の範囲内な飲み物。
珈琲と酒が混ざり合うと、あんまりおいしくなんないのはなんでだろうか。
私にとって好きと好きなのに不思議。
2010年06月23日(水)

足音

肩が重い。
ずっしりとしたこの重みにどう立ち向かえばいいのだろう。
どなたかが上から押さえつけているのではないかとすら疑える。

そういえば、さっき、帰り道に後ろから
コツンコツンとずっとついてくる足音があった。
あまり人気のない角を曲がってもコツンコツン。

ん?こりゃおかしいぞ。

意を決して、振り返ってみる。

誰もいない。

歩く。
コツンコツン。

んん?

さらに歩く。
コツンコツン。

そこで気が付いた。
鞄の中の眼鏡が動いていたのだった。

ドキドキ損。

ちなみに、私は心霊現象を信じていない。
でも、無念なことに、幽霊を見たことはある。

しかし、肩が重い。
2010年06月19日(土)

そらいろのねこ / コギト