先月、パソコンも新しいのを買いました。
いつもネットにつないでいるわけではないので
今まであまり使ってこなかったのですが
レポートを書くにあたってDVDを見る必要があり
そのDVDが古いパソコンやプレーヤーでは認識できないため
急遽、新パソコンを稼動させることとなったのです。
(長い一文を書いてみました)

特にブランドにもこだわらずシンプルなものですが
シンプルゆえか非常に使い勝手が良いです。
自分用のパソコンは初。
かわいがっていきたいと思います。

ところで、またしても課題です。
上演分析とやらに取り組んでいるわけですが
なにやらよくわかりませんで困っています。
意味から感覚へ、と言われましても
感覚を言葉にした途端に、それは記号になってしまうから。
難しいです。

部屋の中には関係してきそうな文献が散乱。
客観的に眺めるとやるせない気持ちになってきます。
机を中心として放射状に本や紙類が散らばっています。

明日も仕事ゆえ、寝ます。

そんな節分。
2009年02月03日(火)

変化

携帯電話を買い換えました。
使いこなせる自信がありません。
携帯代を節約できるよう、頑張りたいです。
暇だからとムダにmixiを見なければ大丈夫のはず。

二月になったので手帳を変えました。
かなり前から買ってあったものですが
一月の予定を書き写すのが面倒だったので
遣い始めがこんなに遅くなってしまいました。
今年はA6サイズの薄いものにしました。

風邪をひいたり、妙に眠かったりしている間に
気になっていた演劇がいくつか終わりました。
ぼんやりしているうちに時は過ぎ去ってしまうものです。

もうひとつ、論文を書き上げたいと思います。

2009年02月02日(月)

レポート送付済み

書き上げておいて忘れていたレポートを提出。
もうどうでもよくなって見直しもしていません。
これは、出せば大丈夫のはずです。

ケータイを替えました。
今回はいたってシンプルなものです。
便利に思っていたニューロポインタがなくなって困っています。
同じメーカーのものを買ったのにボタンの場所が違って面倒です。
二年の間に様々な機能が付け加わってびっくり。
テレビ、ミュージックプレイヤー、執事などなど。
使いこなせるかな。

2009年01月31日(土)

レポート取り組み始め

「キイナ」というドラマを見ました。
主演は菅野美穂、警察のお話です。
菅野美穂が不思議ちゃんを演じているのですが、
それがかわいいようなあやういような
見ていてどこかハラハラするのはなぜでしょうか。
朝日新聞の紹介の人が絶賛していたので見ましたが
まあ気になる感じの作りです。
今後の展開が読めないのもいいです。
毎回犯罪を解決していくのかな?
「ケイゾク」みたいにサイコにいかないといいけれど。

仕事場に中学生が職場体験にやってきました。
毎回思うのですが中学生の仕事に挑む態度が気に入りません。
図書館を利用する際にも公共の場という意識が希薄ですが
職場体験においては図書館が働く「場」であるという意識は
どうやら完全に欠如しているようです。
授業の一環と思って、甘く見ているんでしょう。
世界の全てを「私の場」と考えているように思います。
これは最近の「若者」にのみ言えることではなく
全ての人々に言えることだとは思いますが。

課題レポートの章立てを考えています。
というより、きちんと設計をしています。
すでに一度発表を済ませ、材料も揃っているのだから
やる気になればできるはずなのです。
書くことができるはずなのです。
2009年01月22日(木)

家族、恋、結婚

人付き合いは苦手ですが、家族と付き合うのも苦手です。

昔から他人以上に他人だという意識が強く、
表向きはそれなりの外見だけど
中身はぼろぼろに腐った建物という印象です。
築30年のマンションといったところでしょうか。
今住んでいるのと同じようなものです。

家族全員がいることによって成り立っていた「家族」の制度が
二年前に姉が出て行ったときからぎりぎりだったバランスが崩れ
今ではなし崩し的にわけのわからないものになりつつあります。

人は誰もが秘密を抱えながら生きています。
そして、その秘密を見ないふりするのが家族です。

「阿修羅のごとく」や「岸辺のアルバム」は納得する内容です。
ただし、我が家は家が流れたからといって団結はしないと思いますが。
各人の帰属意識がきわめて希薄な家庭に育ったがゆえに
私自身も何かに帰属することが苦手になっています。

信頼はできませんし、得られません。
疎外感は常に感じますが、どうしようもありません。

それでも、人のふりを見て生きていますから
今のところはなんとかなっているのでしょう。
しかし、それも限界にきている気がしてなりません。

この悲観的なとらえ方。
久々な発想で我ながら驚きました。

ちなみに、私は恋も一種の制度に過ぎないと思っています。
先日、知人との会話の中で(私に)同僚を紹介してくれるという
流れにのってほいほいと相槌をうっておりましたが、興味はありません。
同期が「本当に恋人が必要なの?」と私に問うてきましたが
これが実は一番の私の気持ちに近いものだったので
内心ドキリといたしました。

恋は自己愛の延長で、結婚は制度です。
あらゆる媒体によって再生産され続ける茶番です。

マンガ、小説、ドラマ、もしくは歴史、
さまざまなストーリーによって再生産された「恋愛」を享受し
受容者はさらなる生産者になっていきます。

恋愛幻想によって恋愛競争に駆り立てられ
(婚活なんてその良い例でしょう)
その挙句が結婚という制度の果て。
そもそも、結婚という契約さえも極めてビジネスライクと思いませんか。
・好きだから(=子どもが欲しいから)
・一緒に生活したいから(=生活が楽になるから=永久就職)
みたいなね。
所詮は自分を楽にするための詭弁です。
そして、それって単なる自己愛だと思うんです。

例えば、リクルートのゼクシィのCMを見るたびに思うのは
ビジネスによってウェディングは作り出されているということ。
すなわち、「プロポーズとウェディングの間にある」時間を
あぶりだすことによってゼクシィは成り立っているわけで
そこに商売のうまさがめちゃ際だって見えてくるのです。
(リクルートはそういうところがうまいですね、いつも)

そして、何が書きたかったわけでもないので
きれいにまとめて終わることができそうにありませんが

当たり前の日常を当たり前に受け止めていいんですか?

というところでしょうか。

家族のことから恋愛なんていらねえぜ、という流れですが
これは思ったことをつらつら書いただけで
何かメッセージを発しているわけではないです。
バカ言ってるな、ハハッという感じで読んでください。

文章を書きたい欲、強めな近頃です。
2009年01月19日(月)

そらいろのねこ / コギト