まさか

本が出ました。
ISBNもきちんとついている本です。
当たり前のことではありますが単著ではないです。
ちろっと文章を書いた程度です。

まもなく、どころじゃなかったんだな。
2008年11月08日(土)

ジャンクなもの

目の前にはペプシホワイトがある。
真夜中にネットをしながら炭酸を飲むというのは
どうにもジャンクなことのように思える。

かつてサークルの一つ上の先輩は、
「ストレスが溜まったらファストフードを食べる」と言っていた。
身体に悪そうなものをあえて食べることで
ストレスを発散しているという。

その時はそんなものかとただ思っていたことも
時が過ぎてみれば、わからないでもないことになっている。
きわめて自虐的な発散ではあるが
周囲に破壊を及ぼさないだけ健全である。

と言ったものの、ペプシを飲む今の自分に
恐るべきストレスがあるわけではない。
単に学部生の頃を思い出しだだけのこと。

まもなくうっすらと発表される論文があるのだが
題材がまるでかぶった他の人の論文を見つけてしまった。
発表、先を越された!!
相手はどこぞの教授。
太刀打ちできたものではない。
きわめて残念。

2008年11月07日(金)

電話の話

日々、冷たさが増している。
いつまでも暑いと思っていたのもつかの間
あっというまに冬が近づいてきているらしい。

電車の中の携帯電話も珍しくない。
かつてはメールでさえも憚られたものだが
そんなものはもはやどこ吹く風で
電車に乗ってみれば誰もが携帯電話を睨んでいる。
そして、通話さえもが当たり前になりつつある。
驚くべきことである。

私は古い人間なのだろうか。
他者を意識できなくなることが「新しさ」なのであれば
別に今のままの自分でいいと思う。
ただ怖いのは、気づかないうちに自分もまた
「新しい」ものになってしまうかもしれないということ。
他者のみならず自分まで見失うのは恐ろしい。

しかし、携帯電話の何が問題なのかを考えてみる。
今・ここにいる人と人が話していることは許されるのに
今・ここにいる人といない人が話すことは許されないのか。
それは電磁波だけの問題ではないように思う。

思うに、どこかの誰かと電話をすることによって、
今・ここから通話者の意識が越境していることに
いまだ違和感を覚えてしまうから問題になるのだ。

携帯電話が一般的なものとなってかなり経つ。
生まれながらにして携帯電話が身近なものだった人々には
その違和感を感じることは難しいのかもしれない。
また、人生の途中で携帯電話を手に入れた人々にとっても
とうに違和感などありはしないのかもしれない。
2008年11月06日(木)

休みになった

妙にぐったりとしていたので
休息であると自分に言い聞かせて夕方まで眠り続けてみた。
非常にぐずぐずとした気分だ。
しかし、元気になったような気もする。
謎の4連休の始まりである。

シフトを見ると、しばらく連休がないので
思いつきで明日から京都に行くことにした。
とんでもなく思いつきだから
特別行きたいところがあるわけでもない。
ただ、のんびりと旅をしに行くのだ。
(気分は優雅だが、財布は悲惨である)

書かねばならぬ論文がある。
京都で考えがまとまればいいけれど。
なんとも気分まかせ。
2008年10月26日(日)

靴擦れ

木曜の学校。
思い付きをレジュメにまとめられても
根拠のない論に何を言えばいいのだろうか。
同意をするにも反論をするにも意味がわからないのだから
何をするわけでもなく授業に出ている。
あの発表は暖簾みたいなものだ。
ぺらぺらの暖簾が漂っているだけだ。

自分はどうであろうか。
省みる機会をもらったと思うことにする。

さて、本日の楽しみは国立国会図書館での講演会。
課題解決型の図書館について。
面白かったのは会場に行くまでに図書館内部を
ちょっとだけだが見ることができたこと。
日常業務と図書館界の動向を知ること。
そういうミクロ・マクロの関係をおさえておく必要がきっとある。

それから後は表参道にあるクレヨンハウスへ。
有名な絵本専門店である。
当たり前のことだけど絵本がたくさんあって
見ているだけでほんわかしてくる心地良い場所だった。
また今度行きたい。

ところで、おろしたばかりのスニーカーが擦れて
ものすごく久しぶりに靴擦れができてしまった。
子どもみたい。

そうそう、うちの前の建物が取り壊しになるのだが、
どうやら石綿使用だったらしくてこずっている模様。
飛散してこなければいいのだが。
学校も近所も、なぜに自分の周りは石綿ばかりなのか。
大当たり過ぎて困る。
2008年10月16日(木)

そらいろのねこ / コギト