コンプレックス

昔から気になっていることがある。
それは目のことだ。
私の右目はやる気が乏しくてあんまり開かない。
小さなはその開かなさがひどすぎて病院に行ったこともある。
でも、なんともないとお医者に言われそのまま。
右目と左目の差がけっこうなコンプレックスになっていた。
しかも、疲れてくるとその差はひどくなってしまうのだ。
人から「目どうしたの?」と言われるのが嫌で
フレームごつめの眼鏡をかけているというわけだ。
カムフラージュってこと。

しかし、しかしだ。

うちの後輩が何の気なしにそのコンプレックスを
治すことができるかもしれない方法を教えてくれたのだ。
それはまぶたの問題なんだって!!
長年の嫌なところがなくなるかもしれない。
早く専門医のところに行きたいなあ。
2008年09月08日(月)

友達

高校生の時に安部公房と出会い
私の道は決まったようなものだった。
もしもその出会いがなければ小さな頃からの夢を追って
たぶん古墳の研究をしようと思っていたにちがいない。
ある時手に取った『砂の女』が『デンドロカカリヤ』が、
そして『友達』が、あまりにも途方もなくて恐ろしくて
その不条理に虜になったのだった。
そして、その世界を解明してみたいと思ったのだった。
私なんぞにはまだまだわかりませぬが。

そして今度、『友達』が上演される。
演出はチェルフィッチュの岡田利規だ。
観に行かない理由がない。
というわけで、さっそくリザーブ。
安部公房がどのように現代に生きるのか。
また、岡田がどのように演出をするのか。
様々な観点からとても楽しみである。
2008年09月07日(日)

good good

映画「グーグーだって猫である」初日。
友人との遊びがてら観に行ってきた。
原作全く知らず。
予備知識ゼロ。
その分、映画そのものとして楽しむことができたかと。
麻子先生と観客をつなぐのはアシスタントのナオミ。
ナオミというクッションをはさむことによって、
観客は麻子先生にさらに近づくことができるんだと思った。
観ている間に吉祥寺にトリップしてしまうような感覚は
見事なまでに世界観が作られているからなんだろうか。
そっとなぜたくなるような映画だった。

秋風は早くこないかと、ずっと待っている。
かさりと当たる衣の肌触りが恋しい。
あっという間に温みを奪っていくような風。
誰かと手をつなぎたくなるような季節。
枯れる前に発光するかのような風景のあざやかさ。
秋が待ち遠しい。
2008年09月06日(土)

ものつくりへの恐怖

およそ四半世紀生きてきて自分にはものを作る力が
著しく欠けていることを知っている。
工作や自由研究と呼ばれる類のものは大嫌い。
絵を描くのも嫌い。
その過程は非常に楽しい気がするのだが
想像していたものが具体化できない不器用さに
愕然とすること数回、
ものづくりが向いていないことを知ったのだ。
それは小学生の頃のことだった。

というわけで、あらゆる工作事から逃れ逃れやってきたのだが
いよいよ逃げられないところにきてしまった。
図書館である。
よくよく思い出してもらいたい。
図書館の児童コーナーと言えば、
飾りつけがいっぱいだということを。
そして、なんだかんだとそこかしこに展示物があることを。
たとえ、児童担当でないにしてもやらねばならぬのだ。
限られた物と時間の中で、苦手なものつくりを!!

ちなみに、明後日が期限である。
その日にはさっさと形にせねばならないのだ。
うーむとその場で考え込むと嫌な顔されるのがたまらない。
だから、明日にはなんとかしなければ。
2008年08月28日(木)

からっぽになりたい

パソコンを触ったり、テレビを見たりと、
無駄なことをする時間はあっても
ぼんやりと物思いにふけることが少なくなった。
頭の中には図書館のことや研究のことが
問題が解決するにせよしないにせよ常にあって
なにかとざわざわしているのである。
うーん、つまる。
つまりすぎている。
たまには、つまらなくなりたいものだ。
全身(全心?)なあんにも考えずにからっぽになりたい。

さて、仕事場ではテーマ展示の仕事を与えられているけれど
人に見せることやものづくりは不得手なので困っている。
でも、できないのはいやなので頑張るしかない。
テーマは「戦争と子ども」だ。
さっき自腹を切って、世界地図を買ってきた。
これで世界の紛争をレポートしてやるのだ。

一ヶ月の休みを経て、やっと研究生活に戻ることにした。
まあ、理系学生のように実験があるわけではないので
単に本腰入れて頑張るってだけのことなのだが。

金曜日にはイデビアンクルーを観た。
初。
いつでもダンスというのはどう観てよいのかわからない。
とりあえず心がけたのは「感じる」ということ。
フィッシャーリヒテ的態度をとろうとしただけなのだが、
よくよく自分の姿を考えてみると

「Don't Think. Feel!」(考えるな、感じろ!)

ブルース・リーだ!!

というようにして時間は過ぎていったのだが
やはり、今回の公演のようにダンスに「筋」がある以上は
そこからパフォーマンスを腑分け(解体)していくことが
できるのではないだろうか。
ただそれはテクストとしての解釈であり、
パフォーマンスを論じきることにはならないだろう。
はて、パフォーマンスを論じるとは何なのか。
ダンスを観ることはやはり難しい。

文学も再始動。
詩史をしっかりとおさえるべし。
ゲリラ豪雨みたいに局地的(視野狭窄)に論じるのではなく
広いところからやっていかないと意味がないと思うから。
とりあえず、盛岡に行こうかな。

というのが、近況。
からっぽになりたいわー。
2008年08月24日(日)

そらいろのねこ / コギト