フレッシュ!!

新年度です。
四月になれば彼女は、的な感じで
たまにはフレッシュな気持ちになるのも悪くないです。
ただ、東京の冷え込みが気に入りません。
寒くて花見に行く気にもなれないではありませんか。

未だに論文を書いています。
どう考えても筆が遅いようで
なかなか終わりが見えてきません。
締め切り間際に論文改造を試みてしまう
自分の無謀さには呆れ半分驚き半分。

はじめに
襲撃論
再襲撃(外部)論
再襲撃(内部)論
襲撃・再襲撃の差異論
おわりに

はじめにとおわりにを抜いて、四章立てかしら。
今は二章を直しているところです。
2008年04月01日(火)

鈍い心

久しぶりに死にそうになりながら
などと言っているうちは死なないものですが
懸命に論文に取り組んでいます。
夜明けまでには研究史の整理をしたいところ。
下っ端(院生)なので研究史の執筆も任されているんです。
これがまた一筋縄ではいかぬものばかり。
すでに流通している研究書に立派な文献目録や
研究の流れが細かにされているというのに
私が研究史を書く必要は本当にあるのでしょうか。
と、不満をもらしましたが、完成までもう少しです。

服や靴が当たったりするところの皮膚は分厚くなりますが
それは気持ちにも同じことが言えるのではないでしょうか。
辛いことや悲しいことばかり起きてしまう心には
他の人よりも分厚い壁みたいなものができて
ちょっとやそっとのことでは何も感じないような
そんな鈍いものになってしまうのではないでしょうか。
もちろん、痛みを回避するための手段なのですから
それは悪いことではありません。
ある意味で生きる知恵とも言えましょう。
しかし、喜びや楽しみまでわからなくなってしまうような
そんな心になってしまうのかもしれません。

二十五歳の心は鈍いですよ。
2008年03月31日(月)

そらいろのねこ、として

明日が本当に期限なのです、論文。
頑張ります。

さて、唐突ではありますが
日記のデザイン(色)を変えてみました。
一緒に日記のタイトルも変えてみました。
特に何かが起きるわけではありませんが
しばらくは「そらいろのねこ」という名前で
相変わらずの雑文を書いていこうと思います。

『海辺のカフカ』は一度しか読んだことがないのですが
偶然にもあの物語世界と近いところに行くことになりそうです。
人生というのは何がどうしてどうなるのかわからないもので
全く関係ないと思っていたことが繋がることは
決してめずらしいことではありません。
趣味・選好というのは自分ではバラバラと思っていても
結局は一直線で結ばれてしまうものなのかもしれません。
自分の意志が生むゆえに。

図書館で思いついた今年学びたいこと。
・ジェンダー論。
・パフォーミングアート(演劇・舞踊)。
・視覚(まなざし)について。

楽しみです。
2008年03月30日(日)

一週間のこと

この一週間、随分と飲んだくれていました。

水曜日。
「スペイン料理食べたいねー」
という流れの下にたどり着いたのはメキシコ料理屋。
うっかりと間違えてしまったのでした。
ええ、うっかりと…。

私の中で

  アロンソ=スペイン語
  アロンソ=メキシコ人

 →スペイン=メキシコ

と、気持ち悪い式ができてしまったわけです。
(アロンソというのは留学生、念のため)
あまりの自分のバカさに笑った。

愛すべき友とお喋り。
時間の流れは否応無く我々を老いさせ
出会ってから九年目の今年に
どうあがいても大人になってしまうことに気がついた。
ここで「大人になる」とはどのようなことかと言うと、
外部世界と繋がろうとする意思があること、です。
いつまでも今のままではいられないんだね。
少し寂しくなりました。


木曜日。
アルバイトの最終日でした。
研究所という特殊な空間で事務をしていたわけですが
出会った人々はみなさん良い方ばかりで、
また、数多くの図書の存在が私の道をなんとなく
指し示してくれたのかなと思っています。

バイト後に一つ上の修士の女の子と同じ年の修士の男の子と私で
新宿にある武将コンセプトの居酒屋さんに行きました。
この三人はアルバイトでよく一緒になるメンバーで
黒一点をいじめるという構図でうまく成り立っています。
この日も就職活動に本腰を入れない男子にダメだし。
アルバイトがなくなってそれぞれの環境が変わっても
これからも会っていける存在ではないかと思っています。

金曜日。
知人の舞台を観に行きました。
美意識という点では感嘆する部分が多々ありつつも
それは決して目新しいものではなく
身体の不均一なところが気になりました。
これは好きだからこそ気になるのかもしれません。

舞台上にめぐらされた暗幕が開くと
そこには窓があって光が差し込んでくる。
その瞬間に見る側だった私は見られる側になる、
(まなざしの反転?)
かと思ってわくわくしたのですが
窓の外に人がほとんどいなかったために
期待したようにはなりませんでした。
演出家がその効果を狙っているのかもわかりませんし。

そして、土曜日。
熱心に見ていた「ちりとてちん」が終わりました。
ラストシーンに疑問が残りつつも
お母ちゃんになる、という主人公の思い、
それは前半から伏線を張られていたものであり
見事に成長した喜代美の姿がそこにはありました。
本当に良いドラマでした。
続編があったら絶対に見ます。

大学院の先生の書いた本を読んでいて
その論文の上手さに驚きつつも
なんとか乗り越えることはできないものか、
自分の論文に本気になろうと思いました。
2008年03月29日(土)

想像力

大学に行ってきました。
それは生協の印刷所に注文していた
国文学のおたよりを受け取るためです。
そんな中、研究室に妙に人がいておかしいと思ったら
院生全員でやるべき仕事があったそうな。
そんなの連絡がなければわかりません。
とはいえ、欠席したことに胸が痛みます。
ぬ、なんとアンビバレンス。

「薔薇のない花屋」の最終回でした。
野島伸司の世界観はやっぱり好きです。
物語のハラハラが次を見たい気持ちにさせて
全部見終えると最初から見直してみたくなる。
そんな不思議な魅力があると思います。

久しぶりに高野文子の「るきさん」(筑摩書房)を読んで
いつの時代にも変わらぬものがあることを実感しました。
るきさんの仕事や服装なんていかにも80年代なんだけど
生活の中で考えることは今とほとんど変わっていなくて
人間なんてそんな間単に変わるものじゃないと思いました。
ただ、ますます複雑になりつつある社会ではあります。
シンプルではいられない、というか、
シンプルを許さない、というか。

ところで、今「THX-1138」という映画がやっています。
これはジョージ・ルーカスの処女作らしいのですが、
25世紀を舞台にコンピュータで管理される人間の姿を
そこでうごめく人間の姿を描いています。
物語、映像などあらゆる面において発動されている
ルーカスの想像力には本当に惚れ惚れとします。
別にファンではないのですが。

想像力は現実を乗り越える力であり
また、現実を創造するものである。

私はそんなふうに考えていつも過ごしています。
現実を乗り越えるというところに
文学の意味があるんじゃないかと思うからです。

今は現実のものとなった二足歩行のロボットだって
最初は誰かの想像でしかなかったはずです。
想像力は形にすることで現実に新たな局面を開きます。
だから、想像力を侮ることなかれ。
そして、人文学を馬鹿にすることなかれ。
確かに、実際にモノを作り出すことはできないかもしれないけれど
想像は意味のある営みであるはずなのです。
2008年03月24日(月)

そらいろのねこ / コギト