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| 2007年05月24日(木) |
世界遺産岐阜県白川郷 |
雨の中さらに車を北上させ、世界遺産白川郷へ。
 合掌造りの民家がみえてきた。

 合掌造りの民家はみやげものやに。藤の花が軒先を伝っていて美しい。
 茅葺きの古い合掌家屋が113棟並んだ姿は、昔の日本の風景そのまま。

いよいよ出張先の富山へと車を急がせることにした。 (続く)
| 2007年05月23日(水) |
岐阜県郡上八幡・ひるがの高原 |
朝4時起床。
富山へ出張のため早起きする。 自宅から富山まで車で出かけることにした。
朝4時ごろから雨が降り出して五時半に家をでるころには土砂降りとなった。
富山では夕方の会議と懇親会に間に合うように行けばよいのでのんびりと郡上八幡、白川の合掌村、五箇山の平家の落人の集落などを見ながら行く予定にしていた。
車で名古屋から富山までというのはかなりの距離だけれど、のんびり行こうと思ったので気持ちは楽だったけれど、いかんせん雨が土砂降りでは興ざめだ。
先ずは大雨の中岐阜県郡上八幡に。
郡上八幡は長良川の上流に位置し、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流するところにある。
この恵まれた地形と、長い歴史の中で郡上びとによってはぐくまれた清流の文化は郡上八幡の貴重な遺産。
環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水が「宗祇水」 
 文明3年(1471)連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時の2大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わしました。
「もみじ葉の 流るるたつた白雲の 花のみよし野思ひ忘るな 常縁」
「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 宗祇」
惜しむ別れを清泉に託した2首の和歌が残されている。
雨がどんどんふりしきるので先を急ぐことにした。 車のワイパーがせわしなく左右に首を振るなかひるがの高原へ。

長良川源流に位置するひるがの高原は日本海側と太平洋側の嶺 にあたる分水嶺がある。小さなせせらぎが流れる分水嶺から、左 が太平洋、右が日本海へと分かれる。  ここではほんの小さな流れだがやがて長良川と庄川の大きな流れ となり、また海で1つになる。そんな小さなドラマがここにある。
雨はやむ様子もなく、次は世界遺産に認定された岐阜県白川郷へと車を進めることにした。
| 2006年02月26日(日) |
モロッコとサハラ砂漠の旅 |
2月25日〜3月4日までの「サハラ砂漠とモロッコ幻想紀行」の旅日記です。
中部国際空港からパリ乗り継ぎ便にてモロッコのカサブランカへの第一日目の旅がはじまりです。
※北西アフリカの三国、モロッコ、アルジェリア、チュニジアを総称してマグレブと呼びます。 マグレブとはアラビア語で「日の没する大地」。 モロッコは有史以来、ヨーロッパ、アフリカ、アラブをつなぐ交易の十字路として重要な役割を果たしてきた。その結果、ベルベル&アラブ文化をベースとし各国のエッセンスがまじった多彩なカルチャーが生まれた魅惑的な国です。 気候も風土も表情豊か。 国土は日本の1.9倍の広さ。緑豊かな地域もあれば、砂漠地帯、アトラス山脈の高地には雪がありと表情豊かな国です。
<モロッコの旅の第二日目> ●カサブランカ観光 カサブランカは人口257万人。最大の経済都市。国の経済を支えるリン鉱石(世界の75%を埋蔵)や、農産物の輸出港としても大切な役割を果たしている都市。 カサブランカはハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画「カサブランカ」で有名です。 着いたのは夜。 土砂降りの雨にがっかり。 なんときいてみれば、今は雨季だというじゃありませんか! なぬ!雨季?だまされた〜! 一週間ずっと雨なんだろうか?砂漠にも雨がふるの?とがっかり。 しかし、しかし、日ごろの行いがよい私。翌日から帰国するまでずっと晴天になりました。
 ハッサン2世モスク
1986年から1993年まで8年がかりで完成したモロッコ最大のモスク。 昨夜の雨で足元の大理石がぬれて光っている。 ● マラケシュ観光 マラケシュの街は新市街と旧市街、史跡地区と大きく3つにわけられている。
 クトウビアの塔
メデイナ(旧市街)の西にそびえ建つマラケシュのシンボル、クトウビアは高さ65mの美しい塔。4面それぞれ異なる装飾を持つムーア様式建築の傑作。
 アグノウ門
スルタンが宮殿に行くために使われた門だが、死刑に処される罪人の首をさらす場所でもあった。 門の上にはコウノトリの巣があった。写真右側の上にコウノトリが見える。
 バイア宮殿
アルハンブラ宮殿にも負けない宮殿。4人の妃と24人の側室たちの部屋がある。 ここは時々国王が宿泊するというだけあって輝く宮殿で豪華。
 ジャマ・エル・フナ広場
死者の広場と呼ばれ、ムラ・ビト朝時代の公開処刑場。 大道芸人が集まり、多くの人があつまりにぎやか。

 スーク
モロッコのスークでは値札がないのが普通。商品の値段は店主との交渉で決める。 荷車やろば、馬車が通る。
 ねずみの男ような服装をした人がパンのようなナンをくれた。
 タジン(三角形のふたが特徴の土鍋で煮た煮物料理)
炭火で煮炊きをしていてちょっとびっくり。
 ケバブ(串焼き肉) <モロッコ紀行三日目> テイシュカ峠2260mを越え、アトラス山脈を越え、ワルザザードへ。1987年世界遺産になった要塞化された土の村アイト・ベン・ハッドウ観光。カスバ(要塞)と街並みを散策。
 アトラス山脈
アトラス山脈はモロッコを大きく分ける二つの顔を持っている。 北側のマラケシュ、フェズ、メクネスといった「城壁とメデイナの世界」とすれば、南側はサハラ砂漠へと続く「カスバとオアシスの世界」。 「アトラス山脈を越える」ということは4000m級の山々の壁を越えていくことを意味するのでそれは大変なこと。 風景のあまりの変化に驚愕しないものはいないだろう。

アトラス山脈を越えると別世界が広がる。 4000m級の山の壁が地中海の温暖な空気を遮断し、南にはサハラ砂漠迫る。山と砂漠の狭間、この地域は北側とはまるで違う気候風土。乾燥大地には数本の川が流れ、そのほとりにオアシスが点在する。そこには日干しレンガつくりの村がある。 かつては要塞だった村。

 アイト・ベン・ハッドウ村
ワルザザートの西33km。アイト・ベン・ハッドウ村は日干しレンガ造りの古い「要塞化された村」の一つである。 村の道が迷路となっていて難攻不落の要塞を思わせる。
 幸運のおまじないの字
なんだか「おでん」を思い出してしまいました。
 くずれかけた壁の穴から見える要塞
 アーモンドの花 桜の花に良く似たアーモンドの花が綺麗だった。
 チキンクスクス
<モロッコの旅四日目> トドラ渓谷を経てエルフードへ。
 トドラ渓谷
トドラ渓谷はモロッコのグランドキャニオンといわれる峡谷。 ヨーロッパのロッククライマーたちがこの岸壁に張り付いてロッククライミングを楽しむ。 ここでフランス人の女性がころんで救急車が呼ばれた。 救急車は真っ赤な色だった。病院設備が整わないこの地で骨折してどうやって帰るのだろうか? 気の毒に。
 渓谷を流れる川でろばに水をのませる現地人。
 やぎ
 トドラ渓谷の絶壁
 ターバンの巻き方を教えてもらってにわかベルベル族。
 ケアラムグナの村で取れた三葉虫の化石
 アンモナイトの化石
 キヨクテ(肉団子)のタジン(煮込み料理)
<モロッコとサハラ砂漠の旅(5日目)> 朝4時に四輪駆動車に乗って一路サハラ砂漠へ
がたがたと道なき道を四輪駆動車にのって頭を天井にぶつけながらサハラ砂漠へ向かう。 やっと着いたサハラ砂漠は暗闇の中で明かりもなくらくだの群れがあるだけ。
 私はらくだに乗らず、歩いてサハラ砂漠の砂を踏みしめてみたかった。
砂丘はどこまでも続いていて方向感覚が分からなくなる。 ガイドの導きで歩くのだけれど、さらさらした砂漠の砂に足を取られ、歩きづらい。 休んでいると取り残されるので怖くて休めない。
砂丘は果てしなく続いて息が苦しくて登りながらハーハーと息の音がサハラ砂漠の闇のなか響く。
やっと暗闇の中、朝日を眺めるのに絶好の砂丘に到着。 もう苦しくてぜーぜー、ハーハー。 はるか砂丘の向こうにベルベル族(ベドウイン族)のテントが見える。 そこかららくだの隊を組んで砂丘をゆうゆうと歩いていくのが見えた。
 これがサハラ砂漠を行くらくだの隊列
 砂漠の真ん中にUFOのような雲がポッカリと浮かんでいた。
残念ながらサハラ砂漠から昇る朝日を拝むことはできなかった。
がっかりしてまた四輪駆動車にがたがたと揺られながらホテルへ帰って朝食。
朝食後、アトラス山脈を越えてザット峠(2178km)を越えることに。 ザット峠(2178km)は昨日まで深い雪のため、道が封鎖されているという。 今日も通れなかったら、迂回して別の道をバスでいかなければならない。 幸運なことに封鎖解除。
モロッコと云う国は驚く。 砂漠があるかと思うと緑濃きオアシスが突如現れ、峠を越える頃には雪が降っているという風で気候がまるで変わる。 風景もがらりと変わる。ザット峠(2178km)にはこんなに雪。ここには写真にあるように 世界遺産に指定されたアトラス杉の村がある。

<モロッコの旅(6日目)>
フェズ観光、旧市街の迷路のような道をぐるぐるとまわる。皮のなめし工場見学。
 メデイナ(旧市街の狭い迷路のような通り) ろばで荷物を運んでいる。狭いのでロバにぶつかりそうになりながら歩く。 左側には肉やが肉をぶる下げて売っている。

 小学校。 この国は一家族に子どもが5〜7人という子だくさん。子どもは労働力になるのでたくさんいる。
 左側の紫色の服を着ている夫人は目だけだして全身を覆っている。
 皮のなめし工場。
殺したばかりの動物の皮をなめしたり、染めたりする工場。 右側の黄色いものは動物を裂いて干してある。 左側には染料の入った壷が数十も。 監督のような人が見張っていて、染める雇い人は染料の壷にすっぽり入って足で染めている。 染料が全身に染まって凄惨。女工哀史のような感じ。
石灰を鳩のふんで洗うので臭気は嘔吐しそう。 見学者にはミントの葉が配られ、それを鼻にあてがいながら見学しないとものすごい臭気で吐きそうになる。
 きんぽげの花がじゅうたんを敷き詰めたよう
 イカにご飯をつめたイカのタジン(煮物料理) 旅行中で一番口にあった食べ物。
<モロッコの旅をおえて> モロッコとサハラ砂漠幻想の旅はこうして8日間があっという間に過ぎていきました。
モロッコと云う国は北西アフリカに位置し、西に大西洋、東にアルジェリア、南に西サハラを挟んでモーリタニアと接している。一方、北側はジブラルタル海峡を挟んでヨーロッパ大陸とせっしているという地形。 スペインのアルヘシラスから高速船で1時間、わずか14kmという距離。 まさにヨーロッパからアフリカへのゲートウエイといえる。
大西洋岸や地中海岸にかけては肥沃な平野が広がり穀倉地帯となっている。 一方アトラス山脈のから東は砂漠とオアシスの世界。南下するにしたがって砂と岩のサハラ砂漠が広がってところどころにオアシスが点在する。
気候は地域によっては昼夜寒暑の差が20度Cもある。
治安は比較的良いけれど夜で歩くのはやはり危険。 民族は国民の6割がアラブ人、3割がベルベル人。民族の対立はほとんどない。
モロッコをざっと一周して日本の約2倍の広さには砂漠あり、平野あり、山岳地帯あり、日干しレンガつまり、泥だけで造られた家の要塞と言った異様な景観に圧倒された。
迷路のような要塞の村、狭い旧市街をいまだにロバで荷物を運搬し、その生活ぶりは日本のはるか昔、60〜70年前のような暮らしぶりであった。 またフェズの旧市街では9世紀初めモロッコ最初のイスラム王朝の都ができ、1000年を越えたいまなお市民の生活の場としていき続けている様子は壮観である。
無数にめぐらした網の目のような城壁の内側では壮麗なモスクがあり、スークとよばれる商店街がひしめいていて「カオス」の世界に迷い込む。
子どもは労働力になるのでみな子沢山。
ヨーロッパなどの西側諸国とはまったく異とする景観と異文化はまさに砂漠の迷宮といった面持ちの国の印象が濃い。 泥を乾かしてレンガにした要塞の村はそまつなのに修復しながらも100年は持ちこたえた。 いったい誰がどのようにしてこうした要塞を造ったのだろう。 休憩に立ち寄ったトイレの脇には小さな部屋があり、そこはお祈りの部屋だった。 一日5回メッカの方角に向かってお祈りするイスラム教徒。 これだけ多くのイスラム教徒を内包するアラブ、アフリカ諸国を敵にまわしてイラクを攻撃したアメリカは安々と統合統治できるものではないと実感。
今まで見たこともないような景観を有する異文化と砂漠とオアシスの国、モロッコは欧米の価値観からは計り知れないものを持つ国という印象だった。 アラブ、イスラム圏の国々を芯から理解するのは長い期間をゆうするのだろう。
異文化に触れて「カオス」の迷宮にさまよった一週間であった。
 モロッコみやげです。
らくだの人形とスリッパ
 ラクダの皮のスリッパ なめし皮屋で買ったもの。ラクダの皮は丈夫で品物は良質です。
 ホテルのみやげ物やで買ったスリッパ。
ビーズ刺繍がしてあっておしゃれ
 ラクダの人形と愛犬クッキー
らくだと愛犬は同じ大きさ。ちょっといじけている愛犬は人形より小さく見える。 ラクダのお目目が愛犬と似ていたので思わず買ってしまったものです。
私はついにサハラ砂漠でラクダを一頭買ってしまったというわけ!
| 2005年06月12日(日) |
オランダ・ベルギーの旅(はじめの一歩) |
アムステルダム・スキポール空港へは5月30日夜18:55分に到着。 肌寒く気温14℃。冬のコート姿がほとんど。空港から列車でアムステルダム中央駅へ。
 アムステルダム中央駅(東京駅のモデルになったレンガ造りの立派な建物) ホテルは駅から徒歩5分。まずは旅装をとくことにした。9時ちかくなのに昼のような明るさ。夜10時ごろまで明るい。
今回の旅はベネルックス3国共通の鉄道パスを買ったので列車は乗り放題。他にトラム(路面電車)、バスの回数券を買う。これで交通機関は一々切符買う手間が省け乗り放題なので気の向くまま乗れる。市内地図と路面電車の地図を片手にオランダ、ベルギーを縦横無尽に乗り、歩き、尋ね、食べ、美術館めぐりを堪能したのだった。
5月31日、トラムに乗って行こうとすると電車が火災で出ていない。旅行者にとってこうした予想外の出来事は面食らう。急遽電車に乗ることにして路線図と首っ引き。外国旅行すると一日に何人もの人に道を尋ねることになる。みな親切。英語がかなりできる人が多く、さすがヨーロッパ。
※ここでオランダの概要を: オランダは九州よりやや小さい国土面積で北海に注ぐ3大河、ライン河、マース河、スヘルデ川のデルタ地帯を中心に低地が広がっている。国土の20%以上は13世紀以降の干拓工事によって造られた。日本との交流も深い。
| 2005年06月10日(金) |
ベルギー(アントワープ) |
最後の日もどこへ行くか決めていなかった気ままな旅であったけれど、ブリュッセルでであった大阪在住の女の子がアントワープへ行くと聞いていたので私も行くことにした。
※アントワープ ブルージュから国際列車に乗って1時間10分。 アントワープは、世界有数の港を有し、15世紀以来のダイヤモンドの研磨と取引の歴史を誇る街。 また17世紀にはこの街出身のルーベンスが膨大な数の作品を発表した。中央駅で降りるとダイヤモンド店がずらりと並んでいる。
「ルーベンスのいないアントワープなんて・・」とイギリスの女流作家ウイダは名作『フランダースの犬』に書いている。本当にその通り。街全体がルーベンスに染まっているようで市民の誇りとして息づいている。 ルーベンスが活躍した17世紀はルネッサンスに代わってさらに人間性を重視したバロック様式へと突入した頃であった。
「ルーベンス」: 画家であり、外交官、ハンサムで数ヶ国語を操る教養の持ち主。生涯で1500点以上もの作品を残した「バロック最大の巨匠」 あの「フランダースの犬」のネロが最後に行き着いたルーベンスの絵がある大聖堂へ行こう!
 「キリスト降架」(1611〜14年) ノートルダム大聖堂に飾られた三連祭壇画。 キリストが十字架からおろされる様子が劇的に描かれている。赤い衣服の男が聖ヨハネ、左から手を差し伸べている青い服の女性が聖母マリア。
(ネロとパトラッシュが死ぬまぎわに見たルーベンスの「キリスト降架」。
ものすごい迫力でせまってきて心臓が苦しくなってしまった。

「聖母被昇天」

最後に「フランダースの犬」に出てくるネロとパトラッシュに会いに「ホーボーケン村」へトラム(路面電車)にのって20分ぐらい離れたさびしい村に出かけた。 ネロとパトラッシュがおじいさんと一緒に住んでいた村だというけれど、ものすごくさみしいひとけのないところで、トラムに乗っている客もおらず、だんだん心配になってきた。 こんな人っ子一人いないようなところで大丈夫だろうかと不安になってきた。 ついてみるとがっかり。銅像が建っているだけだった。
 「ネロとパトラッシュの像」
もうがっかりしてまた元きた道へ引き返すことにした。 本当にがっかり。
こうしてアントワープを後にしてまたブルージュのホテルへ戻っていったのだった。
| 2005年06月09日(木) |
ベルギー(ブルージュ) |
さて、いよいよ水の都ブルージュへやってきた。 ブリュッセルから国際列車に乗って50分。ブルージュとは「橋」という意味。 50以上の橋が架かる水の都である。 どんなところか胸がときめく。
※13〜14世紀にハンザ同盟の主要都市として栄えた街で、15世紀末に運河の汚泥で船の出入りが出来なくなった。それから街の発展は止まってしまったのである。 しかし、そのために中世のままの風景が残り、「天井のない博物館」と讃えられているほど美しいところである。
「マルトク広場」は世界遺産に登録された。 その広場の東側に壮麗な姿を見せてくれたのが州庁舎。↓
 1887年〜1921年にネオ・ゴシック様式で建造された。
 聖血礼拝堂 12世紀、第二回十字軍に参加したフランドル伯がコンスタンチノープル(現イスタンブール)から持ち帰ったといわれるキリストの「聖血の遺物」が納められている。 入り口上部中央の像は美女として知られるブルゴーニュのマリー (どこか私に似ているような・・・そんなことあるわきゃないわねえ・・)
 ピエタの像
美しい街を馬車に乗って見学というのもヨーロッパならでは

レースはブルージュを代表する名産品。
 この地方で最も格のあるレース屋で私もコンサートに着ていくブラウスを奮発。 このブラウスを作った人は6月14日にベルギーのフィリップ皇太子と共に愛知万博へベルギー代表でやってくるという。 その人が店頭にいたのでとっつかまえて見立ててもらって買った特別上等のブラウス

シルクにレースが上品で大変美しい。
美しい水の都ブルージュを見るには船に乗るのが一番。 船に乗ってゆっくりとブルージュを堪能しました。



そしてベルギーといえば、ベルギーワッフル! 食べました、食べました!
 焼きたての熱々、サクサクとした食感にこれまた熱々のホットチョコレートをかけたワッフル。 これだけではまだ足らずに焼きたて熱々のパンケーキも注文! 太ったってかまわないもんね!
| 2005年06月08日(水) |
ベルギー(ブリュッセルその2) |
ベルギー随一、フランドル絵画の傑作がそろっている王立美術館へやってきた。 ※ナポレオンがパリのルーブル美術館から名画の数々をここに送ってきて名声を博すようになった。巨大な美術館なのでポイントを絞ってみないと日が暮れてしまう。 そこでブリューゲル、シャガール、ルーベンス、スーラを見ることにした。
 ブリューゲル


 これもブリューゲル
 シャガール

 シャガール
小便小僧の前でお祭りがあった。 小便小僧からワインが出てきてそれを皆に配っているところ。




突然日本語で「これって何かのお祭りですか?」と尋ねられた。 振り返ってみるとこの子だった。お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人のハーフ。大阪在住とか。アメリカの大学を卒業してヨーロッパを一人旅しているところだという。ホテル代を浮かせるためにほとんど夜行列車での旅だという。二人で盛り上がって大いに飲んで騒いで旅談義なんぞを通りの真ん中で、お祭りの真っ只中でしておおいに喜び合った。
楽しいお祭りで結局小便小僧から注がれたワインは5,6杯も飲んだだろうか。 顔が真っ赤に上気してほろ酔い加減でいい気分! 「あ〜。人生最高ね!」と二人で抱き合ったのであった。
そしてお祭りも終わって翌日の小便小僧はこんなふう↓

※さてここで「小便小僧」の説明を: 別名ジュリアン君とも呼ばれているこの小便小僧の起源には諸説ある。 昔、ブリュッセルの町が敵に包囲され爆薬を仕掛けられたとき、爆破寸前に一人の子供がおしっこをかけ、導火線の火を消した。町の人はその子供の勇気をたたえ銅像を作ったなど・・ ジュリアン君は衣装もち。650着以上が市立博物館に展示されている。最初に衣装を贈ったのは17世紀末のオランダ総督で、1747年にはフランス兵が小便小僧に狼藉を働いたことを謝罪してルイ15世から衣装が届いた。以来今日まで世界中から寄贈されている。
| 2005年06月07日(火) |
ベルギー篇(ブリュッセル) |
オランダを後にして一路国際列車に乗ってお隣の国ベルギーへと向かった。 ※ベルギーは、オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、フランスの4カ国と隣接する「十字路」ともよばれる国である。その地理的条件から幾多の支配交代が繰り返され、独立までの複雑な歴史を持つ国でもあり、多様な様相を呈している。
まずはブリュッセルへと向かうことにした。ブリュッセルは知る人ぞ知るヨーロッパ有数の「美食の都」。食べて、食べて、食べ尽くして堪能した。
 バケツ一杯のムール貝。 ムール貝の白ワイン蒸し。セロリ、にんにく、ハーブを入れて白ワインで蒸した名物。100個以上あった。名物のベルギービールと共に。隣にあるのは車えびの料理。
 レストランのウインドーにある魚介類の山
 聖ミッシェル・エ・ギュデユル大聖堂
 ブリュッセル市庁舎
 グラン・プラス ブリュッセル観光の拠点となる広場。縦110m、横68mの長方形で、南西に市庁舎、向かいに王の家、南東にブラバン公の館がある。
 市庁舎での結婚式。 市庁舎では毎週土曜日は結婚式があって中は見学できない。
 6月の花嫁。結婚式が何組もあった。
 ベルギー(ブラバン公の館)
 イロ・サクレ地区 ブリュッセルの食い倒れ横丁。人がやっとすれ違える道幅。
 蚤の市ジュ・ドウ・バル広場の蚤の市
 アールヌーボー様式の屋内ブテイツク街。 ギャルリー(屋内散歩道)の世界最古のもの。
 広場でこんな変な人にあいました。 何でも結婚式を控えてこんな格好でみんなの前でパフォーマンスをしなければならない罰ゲームだそうな。
 スーパーマン
 輪投げ選手権
まだまだ写真のアップは続くのだけれど、整理し、ブログに負担をかけない程度に写真を縮小する作業に手間取っている。 毎日地図と路線図を片手にトラム(路面電車)に、列車に、船にと乗り物を乗り継いだ日々はあっというまに過ぎてしまった。夜10時ごろまで昼のような明るさなのが嬉しかった。慣れない土地を移動し、道を探し、観光するのに日がいつまでも暮れないというのはありがたい。
さて、着いた翌朝に早くも交通手段が火災というアクシデントで番狂わせ。 何しろオランダ語は皆目わからない私。通りに人があふれかえっていて、何事かが起きたらしいことはわかっても情報がつかめない。やっとこさっとこ英語がわかる人を捕まえて事の真相がわかるという始末。それからが大変だ。 さて、どうすればよいか?まず交通手段を考えねばならない。 電車かバスかボートか、タクシーか? 路面電車の路線図と市内地図、持参した磁石で位置を確認し、最短コース、最良手段を考える。「ここはどこ?私は誰?」なんぞと言っていられない。頼るのは自分だけ。 結局列車で行くことに決定。冷や汗も、気温が16度と寒いので凍りそう!な〜んてことはないよ・・・およよ。まさかこんなに寒いとは思いのほかだった。地元の人は冬のコートを着てマフラーまで巻いている。私はドレスの上に無粋なカメラマン・コートをだぶだぶと着てみっともないけれど、寒いのでかっこつけちゃいられない。
無事に目的地に到着!「やれやれ!長い一日だったじぇー」
夕刻一端ホテルへ帰ってから食事に出ようと思ったのだけれど、ベッドに横になったらそのまま意識がなくなった。ほっとしてハンドバッグ持ったまま、ベッドの上で朝まで熟睡してしまったようだ。あまりの寒さに目が覚めたら朝だった。
やっぱり緊張していたのね。 熱めのお湯にとっぷりと浸かってオランダの一日は過ぎていった。
ザーン川のほとりに数基の風車が並ぶ小さな村へ出かけた。 村の名前はザーンセ・カンス。


 個人の家もこじんまりと美しい。
 風車


 遠くにかすんで見える風車と村
 チーズ屋
ここでゴーダチーズを二つ買った。ナチュラル味、ハーブ(唐辛子)の入ったチーズなどがあって味見させてもらえる。
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